明けましておめでとうございます。
途中からお読みになった方は投稿者の私が書いているものと思われるかも知れませんが、これは第4回、5回の定演指揮者、第9回、10回の客演指揮者の土田和彦さんが卒業来65年以上続けてこられた合唱指揮者を引退されての合唱指揮に対する熱い思いを書いておられるものです。SNSに投稿されいるのを了解を得て私がこのページに投稿しています。
指揮者のひとりごと…振りの基本…その8
ここまで書いてきて思うことは、私の目指し創り上げようとしてきた〝合唱音楽(芸術)〟は、私の生き様としての目標〝いかに生きるか〟だったようにも思います。
〝音楽は哲学である〟と言い、そこに溢れるやさしさとあたたかさを追求し、この世のあらゆる存在物の総てを愛し大切にする心を持ち続けること、そのすべてのものに助けられ生かされていることに感謝し敬い慈しむ、私の振る指先から溢れ出すのはそんな心情を表現する〝合唱芸術〟でありたいと思い続けてきたように思います。
それは仏教の諦観…すべてのものを慈しみ受け入れる心・悟りの世界…であり、キリスト教の教えである神を信じ神を愛することにより神の愛…アガペ…に包まれる状況にも通じるものだとも言えます。そういう意味では〝音楽は宗教だ〟とも言えるのかもしれませんね。
私はまた〝エロスを超えたアガペの世界を歌う〟という意味のことをよく言ってきました。例えば取り上げた曲そのもののテーマとしての男女の愛…エロス…をそのまま表現するのではなく、エロスの究極にある溢れる愛の心を昇華させた存在としてすべてのものに対する愛…この世に存在するあらゆるものに対して抱く感謝と悦びの感情…から来る受容の心を歌い上げたいと思い続けてきたと言えます。
私はこの世の俗な…男女の間にある…人間の愛を超えた存在としての自然の存在そのままを受け入れ慈しみ大切にし愛おしむ心を余すことなく表現したいとの想いを抱きつつ今まで振り続けてきました。
例え小さな存在としての石ころ、砂の一粒にも心に溢れる慈しみを注ぎ、その存在により人間の存在が支えられていることに感謝できる心を歌い上げたいと思ってきました。天から降る雨の一雫、それが集まって雨となり地上に降り注ぎ大地に沁み入り、伏流水が集まって流れとなって岩を穿ち細かい砂となって地球の水を浄化し大海原に返していく、命の元となる水の存在にも感謝し祈りとして表現したいとも思ってきました。
そんな私の想いは日本の昔からの土着宗教である多神教…農耕民としての畏敬の念をなる土地から贈り物とする…によるものなのかもしれませんね。
エロスの究極としての愛の存在〝アガペ〟なる愛を〝合唱芸術〟として表現し完成させたいと願い、〝祈りの音楽〟〝祈りの合唱〟を目指してきたと言っても遠からずだと思っています。
先にも述べましたように〝エロスを超えたアガペ〟なる〝合唱芸術〟を目指して私の振りにその思想性を盛り込み溢れさせることで、聴いていただく方々への〝溢れる愛〟を表現しようと私の凡てを注ぎ込んで振り続けてきました。そんな私の姿を見て人々は私の振りには〝色気がある〟と言ってくださる方もおられました。
そしてそんな私の振る合唱団で歌ってみたいと入団してくださる方も居られました。それは私の願う〝アガペの世界〟を表現したいとの想いにはまだ近づいていないのかとちょっと寂しくも感じましたが、その一歩手前の〝エロスの愛〟の表現としてでも何かを感じてもらえたとすれば、私の意図するところとは違っていましたが、それも私の表現し伝えようとしていることが違った形でしっかり伝わっているのだと思うことにしました。
またまただらだらと書き殴ってしまいました。次回は〝タイムラグ〟ということについて、振りは〝半拍に命を懸ける〟ということと関わってお話ししたいと思っております。