日本に住む私たちは生まれた時から西洋音楽に囲まれて暮らしてきました。これは明治時代初期に政府が唱歌によって西洋音楽教育を行ったおかげと言えます。そしてそのように作られた唱歌が今も歌われていることのお話をこれから数回にわたって書いていこうと思います。タネ本は井沢元彦著 『逆説の日本史25明治風雲編』。
# 明治維新後のゴタゴタが片付いた頃でしょうか、明治13年に時の政府は米国人メーソンを招聘して日本の音楽教育を担当させました。そして翌年には早速 『小学唱歌集』 初編が出ました。すなわち明治維新からわずか14年で学校にて西洋音楽が教えられるようになったのです。
《明治14年刊行の小学唱歌集初編の曲について》
この小学唱歌集の曲の多くは後世では歌われなくなっており、現代まで歌い継がれた曲はわずかでした。歌い継がれた曲の中には 『蛍の光』 ・ 『むすんでひらいて』 ・ 『ちょうちょう』 といった誰でも知っている曲があります。これら3曲は次に詳しい解説をしますが、みな外国曲のメロディに本来の歌詞とは関係のない日本語の歌詞をつけたものです。このように明治14年の小学唱歌集初編の曲は外国曲メロディに日本独自で作詞された歌詞をつけた歌が主流でした。滝廉太郎作品のように日本人の作詞に日本人が作曲するという唱歌が全盛となるのはこの歌集より後のことです。
【 『蛍の光』について 】
スコットランド民謡のメロディに日本語の歌詞をつけたもので日本人なら誰でも知っている曲で1番の歌詞は下記の通り。
♪蛍の光 窓の雪 書(ふみ)読む月日 重ねつつ 何時しか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れ行く♪
〔歌詞の意味〕 蛍の淡い光や月光の雪明かりを窓から取り入れ 書物を読む日々を重ねていると いつの間にか年月は過ぎ去っていき 今朝は杉の戸を開け 級友と別れていく。
* 歌詞の中で 「何時しか年も過ぎ」と「杉の戸」という具合に「スギ」という言葉を掛け言葉にしているのが要注意です。私も小学校の頃から歌っていましたが、ここの掛け言葉のところが意味不明でした。だいたい「杉の戸を」と歌えば「スギノトオ ⇒ suginotoo ⇒ 杉の塔?」 となってしまって意味不明でした。とにかく歌詞の中に急に「杉の戸」が出てくるとは思いもしませんでした。原曲はスコットランド民謡で古い友との交流を讃える歌とのこと。
* 大抵の人は1番の歌詞までしか知らないでしょうが下記引用のユーチューブで聞かれたら4番まであり、4番では当時の大日本帝国の領土範囲が歌われています。いかにも明治14年の唱歌だ!と思われることでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=uSBzZyIxdak
〔4番歌詞〕 千島の奥も沖繩も 八洲(やしま)の内の守りなり 至らん国に勲しく 努めよ我が兄(せ)つつが無く
〔4番意味〕 千島列島の奥も沖縄も 日本国の守りの要 統治の及ばぬ異国には勇敢に 尽力せよ我が兄弟無事であれ
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『むすんでひらいて』 と 『ちょうちょう』についてはまた明日書き込みます。
* この曲の旋律はフランスのジャン=ジャック・ルソーが作曲したものです。日本では讃美歌として明治維新後の教会で歌われていました。
その旋律だけを採用し歌詞は古今和歌集にある素性法師の和歌 「みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける」 に基づき曲名も当初は『見渡せば』でした。
しかしこの古今和歌集の歌詞では小学生向きではなく、その後歌詞は次項のような変遷を経て戦後の昭和22年になって現在の「むすんでひらいて」になり現在に至っています。当初の歌は下記ユーチューブの通り。
https://www.youtube.com/watch?v=DGcW_7wSpJA
* きっと下記ユーチューブを聞かれたら皆さん愕然とされること請け合いでしょうが、『むすんでひらいて』の元歌の歌詞は上記 『見渡せば』 の歌詞では広まりませんでした。それで明治28年日清戦争終戦の年に発行の軍歌集に冒頭の「見渡せば」のみを残して、この曲は新しい歌詞となって曲名も『戦闘歌』として収録されています。テンポもかなり速く全くの好戦的軍歌となり広まったのでした。
https://www.youtube.com/watch?v=2KKsl4_nQ2M
なにしろ「弾丸(たま)込めて撃ち倒せ。敵の大軍撃ち崩せ」「銃剣附けて突き倒せ。敵の大軍突き崩せ」という歌詞が、あの平和そのものの唱歌 『むすんでひらいて』 のメロディで歌われているのです!これは驚天動地ですね。
* かつてはスペイン民謡が原曲と言われていて出回っている楽譜には大抵「スペイン民謡」と書かれている。しかし現在ではドイツの古い童謡が原曲とされています。この曲も歌詞の内容は原曲と全く関係ない。
* 当初の歌詞は下記の通りでした。
♪ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ 菜の葉に飽たら桜に遊べ 桜の花の栄ゆる御代に とまれや遊べ 遊べやとまれ♪
それが終戦後の昭和22年に文部省発行の 『一ねんせいのおんがく』 では 「栄ゆる御代に」は進駐軍が教育現場からの排除を主張していた皇室賛美と取られるおそれからでしょう、一部歌詞のマイナーチェンジと共に下記の通り改作されています。
♪ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ 菜の葉にあいたら桜にとまれ 桜の花の 花から花へ とまれよ遊べ 遊べよとまれ♪
https://www.youtube.com/watch?v=-hZzvaVpHQo
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唱歌の話の続きはまた次の土日あたりに書きます。