唱歌の歴史について Ⅱ

# 先週取り上げた『蛍の光』・『むすんでひらいて』・『ちょうちょう』 ですが3曲とも西洋の歌のメロディだけを取ってきて日本語の歌詞をつけたものでした。唱歌作製の第一歩となる明治14年刊行の小学唱歌集初編ではそのような曲が多かったのです。しかしメロディが先にあって歌詞を後付けするのではどうしてもギクシャクする。そこでまず日本語の歌詞が作られてから作曲家がメロディをつけるという通常の手順で、その後の唱歌は作られるようになりました。
# 例えば滝廉太郎が作曲した『箱根八里』(明治34年)も 『荒城の月』 (明治34年)も歌詞が示されて作曲を一般公募したものでした。滝廉太郎がそれらに応募して2曲とも当選したのは言うまでもありません。一方でプロの作曲家に委嘱して作られた唱歌も多いです。
# ユーチューブで京都エコーの『箱根八里』演奏がありました。https://www.youtube.com/watch?v=N1S9XXXz10A 

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user.png C’77卒 石田事務局長 time.png 2023/01/21(Sat) 11:53 No.517
Re: 唱歌の歴史について Ⅱ
# 上記のようにして作られた唱歌で現在も親しまれている唱歌の数々。下記の通りですが歌詞は一番だけを引用しました。歌詞を見ただけでメロディーが浮かんでくるはずです。曲によってはユーチューブから演奏を引用しております。よい演奏です、お楽しみください。

1.文部省による唱歌

『春が来た』(明治43年) 高野辰之作詞 岡野貞一作曲 ♪春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た

『富士の山』(明治43年) 巌谷小波作詞 ♪あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして 雷さまを下に聞く 富士は日本一の山
 下記ユーチューブ力強い若者たちの混声合唱です。
 https://www.youtube.com/watch?v=rvV4y6to9Pc 

『桃太郎』(明治44年) ♪桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけたきび団子 一つわたしにくださいな

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user_com.png C’77卒 石田事務局長 time.png 2023/01/21(Sat) 11:57 No.518
Re: 唱歌の歴史について Ⅱ
『浦島太郎』(明治44年) ♪昔むかし浦島は 助けた亀に連れられて 竜宮城に来て見れば 絵にもかけない美しさ

『かたつむり』(明治44年) ♪でんでん虫々かたつむり お前の頭はどこにある 角だせ槍だせ頭だせ

『紅葉』(明治44年) 高野辰之作詞 岡野貞一作曲 ♪秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓や蔦は 山のふもとの裾模様
 下記ユーチューブではたくさんの紅葉画像がきれい。唱歌はやっぱり児童合唱団の演奏で聞くのがベスト。
 https://www.youtube.com/watch?v=CwsuMUiztF0

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user_com.png C’77卒 石田事務局長 time.png 2023/01/21(Sat) 12:08 No.519
Re: 唱歌の歴史について Ⅱ
『鳩』(明治44年) ♪ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ 豆がほしいかそらやるぞ みんなで仲よく食べに来い


『茶つみ』(明治45年) ♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきにスゲの笠
下記ユーチューブでは茶摘みの風景画像がきれいです。澄んだ濁りのない声の児童合唱が素敵ですし編曲もよいです。
https://www.youtube.com/watch?v=J_rt3zrx3rQ 

『ふるさと』(大正3年) 高野辰之作詞 岡野貞一作曲 ♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
下記ユーチューブで聞けるのは男声4部のハーモニーが素敵なボニージャックス
 https://www.youtube.com/watch?v=DkRFElaKEFw 


作詞者・作曲者ともに、文部省が公表していないので不詳の作品が多いですが、中には様々な事情で作者が知られているものもありますのでそのような曲は氏名を記載しておきました。

×    ×    ×    ×    ×

また明日に続きます

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user_com.png C’77卒 石田事務局長 time.png 2023/01/21(Sat) 12:10 No.520
Re: 唱歌の歴史について Ⅱ
昨日の続きです。
2.文部省以外で個人的に唱歌を作って出版した例では石原和三郎という人物の作品。
『キンタロー』(明治33年) 石原和三郎作詞 田村虎蔵作曲 
♪まさかりかついでキンタロー 熊にまたがり お馬の稽古 ハイシィドウドウ ハイドウドウ ハイシィドウドウ ハイドウドウ

『うさぎとかめ』(明治34年) 石原和三郎作詞 納所辨次郎作曲
♪もしもし亀よ亀さんよ 世界のうちでお前ほど 歩みののろい者はない どうしてそんなにのろいのか
この曲は4番までの歌詞でストーリー通りに歌詞を続けている。下記ユーチューブでダークダックスが面白く演奏しています。
https://www.youtube.com/watch?v=k5wTqS0xtAA 

『花咲じじい』(明治34年) 石原和三郎作詞 田村虎蔵作曲
♪裏の畑でポチがなく 正直爺さん掘ったれば 大判小判がザクザクザクザク
こちらは6番まであってそれでストーリーとなっている。ただしこの歌詞には次のようなツッコミを入れられています。犬の名前ポチは英語の「spotty (ぶち犬)」、フランス語の「petit (小さい)」などに基づく。横浜などで西洋人が愛犬をそう呼んでいるのを聞いた日本人がそれを犬につける名前と誤解して広まったとか。それでこの物語の時代は明治より前でポチという名前の犬などいなかった。しかしこのポチという犬の名前のおかげで歌いやすい曲となっている。

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user_com.png C’77卒 石田事務局長 time.png 2023/01/22(Sun) 09:17 No.521
Re: 唱歌の歴史について Ⅱ
3.雑誌 『赤い鳥』から生まれた唱歌
# 大正7(1918)年官製でない新たな児童文学の確立を目指す雑誌『赤い鳥』が鈴木三重吉により創刊された(芥川龍之介の「蜘蛛の糸」はじめ5編の小説はこの雑誌に発表された)。この雑誌から生まれた曲は“童謡”と呼ばれた。下記2曲が有名ですがさすがに『赤い鳥』で文部省唱歌とは違った味がします。
『かなりや』大正8(1919)年 西條八十作詞 成田為三作曲 戦後に唱歌に採用。 ♪歌を忘れたカナリヤは 後ろの山に捨てましょか いえいえそれはなりませぬ
ユーチューブで由紀さおりが歌っております。
https://www.youtube.com/watch?v=UkWaT39XFT0 

『からたちの花』 この雑誌に寄稿された北原白秋の詩に後に(大正14年)山田耕筰が曲をつけ、後に文部省唱歌に採用。 ♪からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ…
由紀さおりの姉のソプラノ歌手安田祥子がユーチューブで歌っています。
https://www.youtube.com/watch?v=XlG6ZTAowE8 

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user_com.png C’77卒 石田事務局長 time.png 2023/01/22(Sun) 09:23 No.522
Re: 唱歌の歴史について Ⅱ
4.日本史の教育のための唱歌
歴史上の人物を主人公にした唱歌も多く作られた。唱歌にすることによって日本史上で重要な人物を頭に入れれば歌詞とともに一生忘れなくなる。
『豊太閤』(明治34年)は滝廉太郎作の唱歌なのに今は誰も知らない。これは豊臣秀吉を称えた曲である。メロディが良かったら歌詞を変えてその曲は生き残るのだがそれもなかったので人気のない曲だったと分かります。徳川幕府を破って出来た明治政府ですので、徳川家康に滅ぼされた豊臣家を評価したいのは分かります。そしてこのように明治政府は朝鮮半島を侵略した秀吉を称える唱歌を作っています。実際には秀吉軍の外征は撃退され失敗だったと言っても間違いではないのです。そういった歴史の教訓を無視して秀吉を称えるばかり。ここにすでに後に軍国主義に進んだ日本の誤りの萌芽が見られます。

『牛若丸』(明治44年) ♪京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長い薙刀振り上げて 牛若めがけて切りかかる
ユーチューブのダークダックスは飽きさせない演奏をしてくれています。
https://www.youtube.com/watch?v=0SUwrBczfzs 

『鎌倉』(大正3年) ♪七里ヶ浜の磯づたい 稲村ヶ崎名将の 剣(つるぎ)投ぜし古戦場
稲村ヶ崎の剣(つるぎ)投ぜし古戦場とは、鎌倉幕府を事実上滅亡に追い込んだ武将・新田義貞(にった よしさだ)にまつわる伝説の場所。
例えば当時の国史の授業で「唱歌『鎌倉』の1番を思い出せ。あの名将とは鎌倉を陥落させた新田義貞のことだ」と言えば理解してもらえたのです。
ボニージャックスはしみじみとした良い演奏をしています(元歌は8番までありますが4番まで)。
https://www.youtube.com/watch?v=uBk-H0m0AaI 

×    ×    ×    ×    ×

また次週に続きます。

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user_com.png C’77卒 石田事務局長 time.png 2023/01/22(Sun) 09:30 No.523
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