唱歌の歴史についてⅢ
# 明治に入って日本は西洋近代化つまり欧米列強国家に一刻も早く追いつくことを目指しました。服装は西洋式にし、官僚制度を整え、鉄道や造船所や製糸工場なども建設し、軍隊も近代化した。それらと同様に音楽も早くから西洋音楽を学校で教え始め、明治14年には今も歌われている『蛍の光』・『むすんでひらいて』といった曲を含む小学唱歌集を刊行しています。
# 結局のところ唱歌作成による音楽教育が多大な成功を収め、日本人がそれまで全く縁のなかった西洋音楽を身につけたことは確かです。それは現在でも親しまれている数々の文部省唱歌によってです。
# 私たちは当たり前のように小学校から西洋音楽の基礎教育を受け、大学入学して合唱団に入ってもスンナリ楽譜と馴染んで合唱活動に入っていけました。すべて明治政府が文明開化後の早い時点で義務教育に西洋音楽教育を取り入れてくれたおかげであります。ただし西洋音楽といっても日本人の作詞に日本人がメロディをつけるという形の唱歌・童謡がたくさん生み出されていったのでした。
C’77卒 石田事務局長 2023/01/28(Sat) 08:48 No.524
Re: 唱歌の歴史についてⅢ
これまで色々な唱歌を挙げましたがまだまだ紹介できていない馴染みの唱歌は大量にあります。季節や年中行事を歌ったお馴染みの唱歌・童謡に限ったものについてだけでも下記の通り膨大な数があります。
《冬》 お正月(もういくつ寝るとお正月)・一月一日(年の始めのためしとて)・凧の歌(たこたこあがれ 風よくうけて雲まであがれ 天まであがれ)・雪(ゆきやこんこ あられやこんこ)・たき火(かきねの かきねの 曲がり角)・スキーの歌(山はしろがね 朝日をあびて)
《春》 春よ来い(春よ来い 早く来い 歩き始めた みいちゃんが)・どこかで春が(どこかで春が生まれてる どこかで芽の出る)・うれしいひなまつり(あかりをつけましょ ぼんぼりに)・花(春のうららの隅田川)・春の小川(春の小川は さらさら行くよ)・鯉のぼり(*屋根より高い鯉のぼり *いらかの波と雲の波)
《夏》 朧月夜(菜の花畠に 入り日薄れ)・夏は来ぬ(卯の花の匂う垣根に ホトトギス早も来鳴きて)・あめふり(あめあめふれふれ かあさんが)・かたつむり(でんでんむしむし かたつむり)・ほたるこい(ほうほう ほたるこい あっちの水は)・海(海は広いな大きいな)・われは海の子(我は海の子 白波の)・浜辺の歌(あした浜辺をさまよえば)・花火(どんとなった 花火だきれいだな)
《秋》 ちいさい秋みつけた(誰かさんが誰かさんが見つけた)・まつぼっくり(まつぼっくりがあったとさ)・旅愁(ふけゆく秋の夜 旅の空の)・故郷の空(夕空晴れて 秋風ふき)・かかし(山田の中の一本足のかかし)・どんぐりころころ(どんぐりころころ ドンブリコ)・村祭(村の鎮守の神様の)・七つの子(からす なぜ鳴くの)・夕焼け小焼け(夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる)・赤とんぼ(夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのは)・雁がわたる(雁がわたる 鳴いてわたる)・月(出た出た月が)・うさぎ(うさぎ うさぎ 何見てはねる)・虫のこえ(あれ松虫が鳴いている ちんちろ ちんちろ ちんちろりん)
今の季節でしたら『雪の降る町を』でしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=I5GNGEbtznc
また明日に続きます
《冬》 お正月(もういくつ寝るとお正月)・一月一日(年の始めのためしとて)・凧の歌(たこたこあがれ 風よくうけて雲まであがれ 天まであがれ)・雪(ゆきやこんこ あられやこんこ)・たき火(かきねの かきねの 曲がり角)・スキーの歌(山はしろがね 朝日をあびて)
《春》 春よ来い(春よ来い 早く来い 歩き始めた みいちゃんが)・どこかで春が(どこかで春が生まれてる どこかで芽の出る)・うれしいひなまつり(あかりをつけましょ ぼんぼりに)・花(春のうららの隅田川)・春の小川(春の小川は さらさら行くよ)・鯉のぼり(*屋根より高い鯉のぼり *いらかの波と雲の波)
《夏》 朧月夜(菜の花畠に 入り日薄れ)・夏は来ぬ(卯の花の匂う垣根に ホトトギス早も来鳴きて)・あめふり(あめあめふれふれ かあさんが)・かたつむり(でんでんむしむし かたつむり)・ほたるこい(ほうほう ほたるこい あっちの水は)・海(海は広いな大きいな)・われは海の子(我は海の子 白波の)・浜辺の歌(あした浜辺をさまよえば)・花火(どんとなった 花火だきれいだな)
《秋》 ちいさい秋みつけた(誰かさんが誰かさんが見つけた)・まつぼっくり(まつぼっくりがあったとさ)・旅愁(ふけゆく秋の夜 旅の空の)・故郷の空(夕空晴れて 秋風ふき)・かかし(山田の中の一本足のかかし)・どんぐりころころ(どんぐりころころ ドンブリコ)・村祭(村の鎮守の神様の)・七つの子(からす なぜ鳴くの)・夕焼け小焼け(夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる)・赤とんぼ(夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのは)・雁がわたる(雁がわたる 鳴いてわたる)・月(出た出た月が)・うさぎ(うさぎ うさぎ 何見てはねる)・虫のこえ(あれ松虫が鳴いている ちんちろ ちんちろ ちんちろりん)
今の季節でしたら『雪の降る町を』でしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=I5GNGEbtznc
また明日に続きます
C’77卒 石田事務局長 2023/01/28(Sat) 08:52 No.525
Re: 唱歌の歴史についてⅢ
〔昨日の続きです〕
明治14年に刊行された小学唱歌集初編には『君が代』も収録されていました。唱歌のお話の最後に国歌でもある 『君が代』について触れさせていただきます。
# 『君が代』歌詞は一番のみで世界を見渡してみて国歌としては最短のもののひとつです。
♪ 君が代は 千代に八千代に さざれいしの 巌となりて こけのむすまで
〔大意〕あなたのご寿命は 何千年も 小石が寄り集まって 巌(巨大な岩)と成り それが苔むすまで続きますよう
# ユーチューブ『君が代』演奏はアカペラ・ソプラノ独唱、陸上自衛隊中部方面音楽隊所属の自衛隊員。余分な音は一切排除した録音がとても見事で印象的です。
https://www.youtube.com/watch?v=8kFWwuiUdT4
# 『君が代』歌詞の元々の意味について基本的な説明をします。タネ本はこれまでと同様で井沢元彦著 『逆説の日本史25明治風雲編』。この著書を読むまで私は日本の国歌について基本的なことは何も知りませんでした。
# 当初は「祝福を受ける人の寿命」を歌ったものだが、転じて「天皇の治世」を奉祝する天皇賛歌となったそうです。
歌詞は短歌の形式でして文学作品ですから解釈は人それぞれになるかもしれません。しかし天皇賛歌なら「君」ではなく「大君」でないといけません。そして「代」では失礼で「御代」でないとおかしい。京都の中心地に「御所」があります、過去の天皇のお住まいのことです。また歴代の天皇が詠んだ和歌を「御製(ギョセイ)」と呼びます。それらから察して天皇賛歌なのに「御代」でないということはどうもおかしいです。
# 歌詞の原型は平安時代前期編纂の『古今和歌集』や平安時代中期編纂『和漢朗詠集』に、よみ人知らずで登載されています。そして古今和歌集時代の「きみ」は主人・家長・友人・愛人などを意味する二人称・三人称で幅広く使われていた。つまり「君」は天皇を指しておらず、従って当然天皇賛歌ではなく不特定の「相手」の長寿を願う 「賀歌――祝いの気持ちを表した歌」 と解釈されます。
# 曲は明治13年に宮内庁雅楽課の伶人長(雅楽演奏者のトップの人)が作曲しました。ですからいかにも雅楽的な雰囲気の曲となっています。ドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが1893年(明治26年)以降、儀式に使用されるようになりました。現在も私たちは式典があればその度にこの編曲を聞いております。
https://www.youtube.com/watch?v=tDrvgfDiEE4
先に記しました大意にある通り歌詞は自分より相手の幸せを祈る歌、それが 『君が代』 の本来の姿です。
来週に続きます
明治14年に刊行された小学唱歌集初編には『君が代』も収録されていました。唱歌のお話の最後に国歌でもある 『君が代』について触れさせていただきます。
# 『君が代』歌詞は一番のみで世界を見渡してみて国歌としては最短のもののひとつです。
♪ 君が代は 千代に八千代に さざれいしの 巌となりて こけのむすまで
〔大意〕あなたのご寿命は 何千年も 小石が寄り集まって 巌(巨大な岩)と成り それが苔むすまで続きますよう
# ユーチューブ『君が代』演奏はアカペラ・ソプラノ独唱、陸上自衛隊中部方面音楽隊所属の自衛隊員。余分な音は一切排除した録音がとても見事で印象的です。
https://www.youtube.com/watch?v=8kFWwuiUdT4
# 『君が代』歌詞の元々の意味について基本的な説明をします。タネ本はこれまでと同様で井沢元彦著 『逆説の日本史25明治風雲編』。この著書を読むまで私は日本の国歌について基本的なことは何も知りませんでした。
# 当初は「祝福を受ける人の寿命」を歌ったものだが、転じて「天皇の治世」を奉祝する天皇賛歌となったそうです。
歌詞は短歌の形式でして文学作品ですから解釈は人それぞれになるかもしれません。しかし天皇賛歌なら「君」ではなく「大君」でないといけません。そして「代」では失礼で「御代」でないとおかしい。京都の中心地に「御所」があります、過去の天皇のお住まいのことです。また歴代の天皇が詠んだ和歌を「御製(ギョセイ)」と呼びます。それらから察して天皇賛歌なのに「御代」でないということはどうもおかしいです。
# 歌詞の原型は平安時代前期編纂の『古今和歌集』や平安時代中期編纂『和漢朗詠集』に、よみ人知らずで登載されています。そして古今和歌集時代の「きみ」は主人・家長・友人・愛人などを意味する二人称・三人称で幅広く使われていた。つまり「君」は天皇を指しておらず、従って当然天皇賛歌ではなく不特定の「相手」の長寿を願う 「賀歌――祝いの気持ちを表した歌」 と解釈されます。
# 曲は明治13年に宮内庁雅楽課の伶人長(雅楽演奏者のトップの人)が作曲しました。ですからいかにも雅楽的な雰囲気の曲となっています。ドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが1893年(明治26年)以降、儀式に使用されるようになりました。現在も私たちは式典があればその度にこの編曲を聞いております。
https://www.youtube.com/watch?v=tDrvgfDiEE4
先に記しました大意にある通り歌詞は自分より相手の幸せを祈る歌、それが 『君が代』 の本来の姿です。
来週に続きます
C’77卒 石田事務局長 2023/01/29(Sun) 09:10 No.526