4回目の忠臣蔵のお話です、今回はかなり意外性があるがもっともだと思える説の紹介です。
7.浅野内匠頭精神障害説
≪浅野は一時的に精神異常を起こし吉良に斬りつけたのでは?≫
浅野が刃傷事件を起こしたのは一時的に気が変になったからだ、という説がありますが、私もそれが一番しっくりくると思います。
# 例えば『浅野内匠頭刃傷の秘密―精神科医の見た赤穂事件』 (1985年)という著書が出ています。これは精神科医が史料に見える浅野の状況から浅野を「精神鑑定」したものです。この著書では「浅野内匠頭精神障害説」が説かれています。
# 刃傷事件を起こした時の浅野は2回目の勅使接待役であった。特に今回の接待は将軍綱吉が母に朝廷から高位をもらうために働きかけをしていたので、絶対に不手際があってはいけない。そんな重要な役目に2回も選ばれたということは、浅野はそれなりの“切れ者”だったはずです。
# そんな浅野がいかなる事情であれ、刀を鞘から三寸抜くだけで「御家断絶、切腹」となるのに殿中で刃傷事件を起こすはずがない。常識で考えてもかなりの間抜けな人物でもそんなことはするはずない。
そして前回に書いた通り刃傷事件の直前に散々吉良から罵倒されてカッとなって斬りつけたというのは忠臣蔵脚本の作り話です。目撃証言では突然現れて吉良に後ろから斬りつけている。
やはり一時的に精神に異常をきたしたからとしか考えられません。他にも刃傷事件の際に浅野は下記の通り異常としか言えない行為を他にもしています。
≪刃傷事件起こした時の浅野の異常な行為≫
◎壮年の浅野が老人の吉良に後ろから突然に斬りつけたのに殺せなかった
33歳と若い浅野が60歳と高齢な吉良を背後から不意打ちし、しかも数回切りつけたと目撃証言があるにもかかわらず殺すことが出来なかった。
そもそも武士である浅野がこれほど有利な条件で斬りつけたのに老人一人殺せなかったのである、なんとも異常である。
◎突き刺せば確実に殺せたのに斬りつけた
「小刀は突くもの」とは武士の常識である。脇差のように短い刀を振り回しても相手に致命傷を与えられない。それより相手の胴体を突き刺せば確実に殺せる。
それに吉良は烏帽子を被っていて烏帽子の上から斬りつけても烏帽子には鉄の輪が入っているため刀は効かない。
このように浅野は全く武士の常識から外れた刀の扱いをした。
◎勅使接待役という自分の役割を全く考えていない
浅野が吉良に斬りつけたのは勅使が江戸城に来る直前の事でした。既に書きましたが浅野は勅使の接待役で、その斬りつけた相手が接待総責任者の吉良である。こんなことをすれば接待も何もすべてぶち壊しになるのは分かり切ったことです。いくら何でも自分の立場を全く考えないムチャクチャすぎる行いです。
まともな人間なら吉良に恨みがあるとしたら勅使接待が終わってからやるのがスジ。これでは浅野の職務に対する責任感は子供並み。
≪浅野が精神異常を起こしたという状況証拠≫
◎老中3人が 「浅野は乱心」 と言っている
刃傷事件の起こった日の午後に将軍綱吉は老中を集めて浅野の処分を検討した。
勅使接待をぶち壊されて激怒している綱吉は“即日切腹”との意向であったが、5人の老中のうち3人が「浅野は乱心」ではないかと処分の猶予を願った。しかし結局は綱吉の意見通り事件当日に浅野は切腹となった。
このように3人の家老が「乱心」と言ったということは、家老たちが直接見たか人から伝え聞いた浅野の様子が明らかに精神の異常が感じられたということでしょう。
◎浅野の叔父も同様の事件を起こしていた
この事件から21年前の三代将軍家光の法要の際に、浅野の母方の叔父も同じく乱心して刃傷事件を起こし殺人を犯し翌日切腹となっている。これは統合失調症(以前は精神分裂症と呼ばれていた)によるものとも言われている。この病気は決して遺伝病ではないが、その病気に弱い体質は遺伝する。それで浅野は統合失調症だったのではという説が研究者から出ている。
× × × × ×
下図の浮世絵は殿中刃傷事件を描いたもの。
ただし浮世絵師は町人で武家の常識がよく分かっていないためか変な絵になっている。まず衣装が“長裃(ナガカミシモ)”になっている。これは略礼装で名奉行「遠山の金さん」がお白州で着ているものと同じ。
勅使来訪の際の服装の決まりは最高級礼装の“大紋(ダイモン)”である。背中にその大名の家紋が大きく染め抜かれた衣装で、烏帽子を必ず着用する。
そして振り上げている刀も脇差ではなく殿中に持ち込めない長い方の刀です。