≪忠臣蔵ネタの最後に≫
◎ 忠臣蔵の脚本家がこしらえたストーリー
前回浅野内匠頭が殿中刃傷事件を起こした原因について「浅野内匠頭精神障害説」を紹介しました。
普通の人間なら「切腹・お家断絶」になると判っているのに、どんな事情があっても殿中で刃傷事件を起こすはずがない。一時的に精神に異常をきたさない限りあり得ないと思えます。
しかし内容を面白くするために忠臣蔵の脚本家は吉良上野介を絵に描いたような極悪人に仕立て上げて浅野内匠頭に対して意地悪をしまくり、刃傷事件直前には酷く罵倒されたために激怒した浅野が事件を起こすというストーリーをこしらえたわけです。
その作り話のおかげで忠臣蔵の物語が大変に一般受けするものとなりました。昭和時代まで日本人の間ではとても人気のある物語となり何度も何度も上演上映されました。おかげで史実とは異なる作り話が事実と誤解されて世に広まりました。
◎ 赤穂藩士の圧倒的多数は「不忠臣」であった
殿中刃傷事件により赤穂藩浅野家は解体され約300名の藩士はすべて浪人となった。討入りした赤穂浪士は47人なので「不忠臣」の方が圧倒的に多い。
藩主の浅野が刃傷事件を起こしたおかげで赤穂藩は取り潰しとなり藩士は全員失業して浪人に。しかも浅野は卑怯にも後ろから不意打ちで斬りつけたのに老人一人殺せず、その上に自分が任されている重要な役目である勅使接待をぶち壊した。
これでは浅野はダメな主君としか言いようがありません。そんな主君に何故忠義を尽くさねばならないのか?そう考えれば吉良邸討入りに参加しなかった「不忠臣」の方が沢山いても当然と思えます。
また討入りした浪士の中には、うまく行けば「主君に忠実な武士」としてどこかの藩に再雇用してもらえるかもしれないと打算を胸に秘めていた者もいたことでしょう。確かに当時の「識者」で赤穂浪士の忠義を認めて助命論も出ていましたが、結局は浪士たちは切腹となりました。
◎浅野内匠頭は討入りされて当然だったのか?
前々回に紹介した『浅野内匠頭家来口上書』を見ると、赤穂浪士らですらなぜ浅野が吉良を恨んだのか知らなかった。
吉良の何らかの言動で恨みを持ったかもしれませんが、どんな事情であれそれで浅野が吉良に殿中で斬りかかって良いという理由にはならないでしょう。
ましてや主君が殺しそこねたという理由だけで、切腹した主君に代わって元家臣たちが屋敷に討入りをして寄ってたかって吉良を殺してしまう。これが正義なのでしょうか?
そして忠臣蔵の作り話のおかげで歴史上の人物吉良上野介は赤穂浪士に殺されて当然の極悪人とほとんどの日本人から思われてしまいました。
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下図は過去の映画のポスター。たぶん昭和30年代か40年代のものでしょう。その頃は忠臣蔵映画は上映すれば必ずヒットと言われていました。俳優も当時のトップスターがズラリと出演しています。古き良き時代でしたね。