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2020年度合一会会計報告

下の画像が昨年2020年度合一会財政の収支表です。

user.png 石田事務局長 time.png 2021/05/25(Tue) 13:55 No.424
2020年度合一会会計報告
≪2020年度財政収支の総括≫
上記表で〔収入額合計279,858―支出額合計339,735=-59,877〕となって単年度では59,877円の赤字となっております。
そして年度当初の合一会通帳残額が466,985円であったものが、上記の通り59,877円の減ですから次年度2021年度への繰越額は407,108円となります。
この40万円を超える繰越額を見れば、合一会財政はかなり余裕があることが分かります。さらに去年12月に会報と一緒に送った会費振込票によって、今年度は50万円ほどの会費収入があることは先にお知らせしました通りです。この余裕ある財政で今年は現役に対する財政支援をしていくことにしております。

なお7月1日頃発送予定の合一会報にも会計報告は掲載しますが、そちらの方は紙面の都合で必要最小限な内容にして、【詳しくは合一会HP内 “合一会トークルーム” の5/25日付の書込みをご覧ください】とのコメントを記しておく予定です。
user_com.png 石田事務局長 time.png 2021/05/25(Tue) 13:57 No.425
越知山

5月初め、泰澄大師、北陸最古の修験霊場とされる越知山(613m)へ出かけました。
越知山の「ヲチ」は日本の古い言葉で「若返る」という意味。万葉集には音読みで「越知」、訓読みで「変若」の文字があてられているとか。

歴史を感じさせる神社の室堂には周囲8メートル、樹齢1000年、泰澄大師お手植えと伝わる栃のご神木があります。

user.png suzu time.png 2021/05/13(Thu) 20:26 No.417
シオガマザクラ
そして、珍しい鹽竈桜が満開でした。
この桜は、堀川天皇の御製にも「鹽竃櫻」と詠まれ、平安時代からあった品種。
しかし、昭和に高齢で枯死。その直前に宮城県鹽竈神社の庭師、松木操によって接木され、京都のサクラ研究家、佐野藤右衛門の指導の下、育成、保存されて
鹽竈神社に植えられた54本中、31本が国の天然記念物に指定されている由。
user_com.png suzu time.png 2021/05/13(Thu) 20:31 No.418
シオガマザクラ
一房持ち帰り、花びらを数えてみました。何と95枚!

薄く繊細な花びらがはかなげで、しかし、勁く、優美な桜です。
user_com.png suzu time.png 2021/05/13(Thu) 20:32 No.419
奥の院へ
しばらく鹽竈桜を愛でた後、鬱蒼とした木立の中を奥の院へと向かいました。
山頂まで続く長い笏谷石の石段は所々苔むして滑りそうに・・。
user_com.png suzu time.png 2021/05/13(Thu) 20:34 No.420
カンアオイ
薄暗い参道沿いを彩っているのはピンクや白の可憐なイワカガミ。

そして、「カンアオイがあるなぁ・・・」と、何気なく葉を裏返してみると・・・、
user_com.png suzu time.png 2021/05/13(Thu) 20:38 No.422
ギフチョウの卵
ギフチョウの卵!

緑の真珠のような光沢を放つ、美しい卵・・・
初めて目にするそれに、感激もひとしお。


「若返り」の霊気に触れ、鹽竈桜を愛で、ギフチョウの卵に出会った思い出深い山でした。
user_com.png suzu time.png 2021/05/13(Thu) 20:40 No.423
身近でコロナ感染が発生!


テレビニュースを入れれば「本日の感染者数は何人」というお知らせばかりが目につきます。また有名人の誰それが感染しましたという情報。そんな状態が1年以上続いていましたが、私の身の回りで感染したという人は誰もいませんでした。
ところが私のパート勤務先で社内感染が出てしまいました。

先週の月曜日のこと、私は週のうち土・日・月が休みでして、外出している時にスマホに職場から電話がかかってきて、副社長に当たるポジションの人のコロナ感染が明らかになったとのこと。
勤務先はパートを入れて従業員50名ほどの中小企業で、あとで分かりましたが70歳過ぎの女性社長やその他社員何名かも感染したとのこと。副社長は社長の息子さんです。社長も副社長も気さくな方で、たまに私の勤務している部屋に来られると、パートの私にも声をかけてくれてお喋りしたりしていました。

私の妻は病気持ちでコロナ感染するとダイレクトに命に関わるので、同居している私も極力感染を避けねばなりません。勤務先は補装具製作をしており常から病院に出入りしている社員が多いです。それで社員が感染するリスクがあるのは分かっていましたが、会社の方で感染対策はキチンとされていると信じて勤務しておりました。それが社長らトップの方々が感染してしまい、残念ですがこんな感染危険性のある会社は辞めざるを得なくなります。それで会社にはそれ以来行っていません。今後の身の振り方は状況が落ち着いてから会社と話し合うことになります。

そして会社で社員全員のコロナ検査をすることになり、わが家にもPCR検査キットが送られてきました。これは添付の写真の通りで、A5サイズで深さ3センチほどの紙箱に収められていました。

唾液を入れるチューブ等が入っていて、そのチューブに唾液を入れてから同封されていた返信用ダンボール箱に封入して、箱には郵便切手が貼られているのでそのまま郵便ポストに投函すればよいわけです。同時にインターネットメールで自分のアドレスやパスワード等必要事項を検査機関に連絡しておくのです。
早速送ったわけですが、PCR検査結果はまた明日に。

user.png C25石田 time.png 2021/04/28(Wed) 11:07 No.414
身近でコロナ感染が発生!
投函した2日後にはメールで検査結果が出たと連絡が来ました。とても早く対処してくれて有難いです。HPから結果を見るとホッとしたことに「陰性」でした。画像は結果画面の主要部のコピーです。ひょっとして陽性だったら私の住所地区の管轄保健所に連絡が行くそうです。

実は今の勤務先は勤め始めて2年近くになりますが、職場の皆さんと人間関係もよく気に入っていました。出来たら70歳を超えてまで働こうとしていたのでした。
ところがこの感染発覚より少し前に、職場のリーダーの女性から薄情なことを言われていました。
「これから70歳以上になっていつまで頼れるか分からないので、あなたの仕事はボチボチ若い人にやってもらいます」
「1年目はハローワーク通じて採用で高齢者雇用助成金が出ていましたが、2年目以降はそれもなくなりましたしね」
「年金をもらっておられるからこの仕事が無くなっても暮らしていけるでしょう」
職場のリーダーさんも私がよく働いていることは認めているのに、このようなことをおっしゃる、酷いもんです。
そのような事情で、感染が発覚した時点で躊躇なく職場を辞められるわけです。
実のところ今の職場の本音は、まだ新しい人に置き換える体制が出来ていないのでもう少しは私に努めてほしかったようです。

新しい職探しはゴールデンウィーク明けの高齢者向けワクチンの接種が済んでからのつもりですし、その時分には今回の感染拡大も収束しているでしょう。緊急事態宣言の出ている今は求人も少ないことでしょう。
今は変異ウイルスの感染を避けるために静かにおとなしく暮らしていきます。
user_com.png C25石田 time.png 2021/04/29(Thu) 10:53 No.415
失業中から休業中に

GWも終わり社会も通常モードになった一昨日のこと、私を見限った職場のリーダーさんがわが家を訪ねてこられました。
コロナ感染した社長が自宅療養も終り出勤してこられたのですが、パートを含めて従業員全員に洋菓子をお詫びに進呈されたので、それを私に届けるためと併せてお話があるということで仕事終了後に来られました。
話というのはリーダーさんが私に謝罪される内容でした。
本来なら私が老化して仕事に差しさわりが出てから、仕事の後を継ぐ人を検討すべきところ、
元気に働けている現時点でもう後釜を決めてしまうのは正しくないことでした、と自分の非を認められました。
それで私も今後もこの会社で働き続けられることとなりました。

当面は感染予防で仕事は休みますが、5月以降私たち夫婦も含めて高齢者がワクチンを受けてから、
世の中の感染状況を見極めて仕事復帰することになるでしょう。
この様に事態が好転したのは、多分私と仕事を一緒にしてきた職場の若手女子社員やパート主婦さんらが私のために
リーダーさんに色々と働きかけをしてくれた成果だと思っております。
とにかくまたあの慣れ親しんで職場に復帰できることとなって嬉しいです。
user_com.png C25石田 time.png 2021/05/12(Wed) 14:00 No.416
丹巌洞(たんがんどう)

いつもの散策道から少し西へ足を延ばして緩やかな坂になった通りに入ると、
鬱蒼とした木立と苔むした庭が目に入りました。
柵で閉じられている門から覗き込んでいると、中から一人の男性が現れ、
思いがけず案内されたのは、土蔵のような古い建物でした。

江戸時代(1846年)、笏谷石採掘跡に医師山本瑞庵が建てた別荘で、
藩主松平春嶽や橘曙覧はじめ多くの文人墨客が訪れ、絵画や墨蹟、漢詩、和歌を残しています。
現在は国登録有形文化財となっています。

user.png suzu time.png 2021/04/19(Mon) 21:31 No.407
Re: 丹巌洞(たんがんどう)
入ってすぐの間に多くの品が展示されています。日常使われていたものや眼科医であった瑞庵の診療器具(聴診器、丸薬を煉る鉢、ピンセット)など。
user_com.png suzu time.png 2021/04/19(Mon) 21:35 No.408
Re: 丹巌洞(たんがんどう)
ここで詠まれた和歌の短冊も多く残されています。

また、この草庵は文人のみならず、志士たちの密会場所であったと伝わっています。
橘曙覧の門弟であった由利公正が、福井を訪れた坂本龍馬と莨屋旅館で語りあかしたことを記した文書原本が、ここ丹巌洞に保存されているとのことです。

龍馬は後に新政府の財政担当に由利公正を推挙、公正は新政府で
参与として財政手腕を発揮。五箇条御誓文をも起草。
後に東京府知事にも就任しています。
user_com.png suzu time.png 2021/04/19(Mon) 21:44 No.409
橋本左内
暗い奥の部屋や中二階に足を踏み入れると、当時のままの扁額や屏風が残されており、風雅を楽しんだ様子が伝わってきます。

橋本左内の書簡が目に入りました。15歳にして自らを鞭撻するため『啓発録』を著した左内、
「去稚心」「振気」「立志」「勉学」「択交友」の五訓は現在も
福井の教育現場で様々な形で生かされています。

医者の家に生まれ、類い稀な才能を持ちながらも、志士として安政の大獄で処刑。時に左内26歳。

左内なきあと、医者の稼業を継いだのは弟の綱常、
ドイツ留学後、明治政府でも活躍、後に日本赤十字社病院の
初代医院長となっています。
user_com.png suzu time.png 2021/04/19(Mon) 21:56 No.410
奥の一間、囲炉裏を囲んで、お茶も点て、盃を重ね、談笑し、和歌を詠み、国の行く末をも論じたのでしょうか?

また、庭を見下ろせる中二階の一間には、当時そのままに机や火鉢も残されています。

大きな時代のうねりの中、ここに集った人々のひそやかに、しかし、昂揚した声が聞こえてきそうです。
user_com.png suzu time.png 2021/04/19(Mon) 22:05 No.411
丹巌洞・料亭
丹巌洞は現在、山本家から譲り受けた宮崎家が管理。4棟の趣ある館は料亭となっています。

緑の木立と美しい苔庭を眺めながら、懐石料理など戴いてみたいもの・・・、
そんなことを思いながら、人影もない庭を、しばし散策させていただきました。
user_com.png suzu time.png 2021/04/19(Mon) 22:12 No.412
Re: 丹巌洞(たんがんどう)
suzuさん、探検のようで、ワクワクしました。
そんな苔むした庭の先にお宝がいっぱいあるなんて。

コロナ禍ということで、すっかり出かけることがなくなりましたが、
こういうレポートを見ると、お出かけしたいと思います。
user_com.png D24 Yatchan time.png 2021/04/22(Thu) 21:06 No.413
ハナモモの里

西雲寺の枝垂桜が終わりを告げる頃、武周町は鮮やかなハナモモに彩られます。 
過疎の村となり耕作されなくなった田畑に個人が400本の花桃を植えたのが始まりとか。
20年経った今、武周町は見事なハナモモの里になりました。

また、この地には「武周雅楽」が伝承されており、桜祭りには西雲寺で小中学生が、笙、竜笛、篳篥(ひちりき)で雅楽を演奏するとか。
なんとも雅な村。ひょっとして、ここは平家の落人の里?
想像を逞しくし、遠い古に思いを馳せながら、静かな山里を歩きました。

user.png suzu time.png 2021/04/11(Sun) 22:00 No.406
西雲寺の枝垂桜

山も堤防も街中も、いたるところを彩った桜がはらはらと散り始めた3月も末、
福井市武周町の山間にある真宗仏光寺派寺院、「西雲寺(さいうんじ)」を訪ねました。

user.png suzu time.png 2021/04/04(Sun) 15:48 No.400
Re: 西雲寺の枝垂桜
樹齢百数十年と言われる枝垂桜が、今、満開の時を迎えていました。
user_com.png suzu time.png 2021/04/04(Sun) 15:50 No.401
ニワトリ(1)
境内に放し飼いされている鶏たちも、春を楽しんでいるかのようでした。
user_com.png suzu time.png 2021/04/04(Sun) 15:54 No.402
ニワトリ(2)
のどかな山里の風景です。
user_com.png suzu time.png 2021/04/04(Sun) 15:57 No.403
Re: 西雲寺の枝垂桜
境内にこんなに美しいニワトリを飼われているんですね。
伊藤若冲を思い出してしまいました。(笑)

そして、見事な桜の写真をありがとうございました。
あまりに見事な枝垂桜で凄みさえ感じます。

私のうちでは植えたばかりの桜の幼木が満開です。
(笑)
楊貴妃…という品種なんですよ。(≧▽≦)

桜の季節もあっという間に過ぎていき、
次を待ち受けた花たちが町を彩り始めました。
user_com.png D24 Yatchan time.png 2021/04/05(Mon) 20:40 No.404
Re: 西雲寺の枝垂桜
伊藤若冲ですねー。
そういえば、先頃、テレビで若冲のドラマを観ました。
こんなにきれいなニワトリ、画にも描きたくなるでしょうね。

桜の生命力には圧倒されます。
でも、幼い「楊貴妃」は優雅な中にも可愛らしさがあって、何故かホッとしますね。

これから新緑も花々も美しい季節。楽しみです・・。
user_com.png suzu time.png 2021/04/06(Tue) 14:59 No.405
フワーリズミーさんご苦労様

フワーリズミーさん、長期連載ご苦労様でした。
まず私にとっては不可思議なそのお名前について調べましたら9世紀前半にバグダードで活躍したイスラム科学の学者の名前なんですね。
当初、私はフワッとしたリズムのような人柄のお方でそう名乗られたのかな、と思ったりしていました。

さて、書かれた内容についてですが私は歴史、特に日本史に関心があって、その関係は少しはですが熱心に読ませてもらいました。歴史以外では府大の3つの学部が人文科学、社会科学、自然科学の3区分に厳密に対応しているとの指摘が納得させられました。人文科学を学べるのが文学部、社会科学を学べるのが公共政策学部、自然科学は生命環境学部という配置。
その後のレベルの高い概念的なお話になると、ちょっと脱落していました。具体的な話を離れてきたら、よほど心を据えてかからないと理解できなくなります。合一会HPはそんなに大層な心構えをして読みませんので、申し訳ない。

ところで私も歴史好きですので、フワーリズミーさんの書込みから刺激を受けて歴史関連の話をしてみます。

user.png C25 石田 time.png 2021/03/28(Sun) 21:12 No.397
卑弥呼・邪馬台国などから
中学でしたか高校でしたか、日本古代のお話で聞き覚えた「卑弥呼」「邪馬台国」「奴国(なのくに)」という名称ですが、皆さんご存じの通りこれらはみな中国の昔の文書に出てきた言葉です。古代の日本は文化程度が低く歴史資料がなくて中国の文献だけが当時の日本を知る手段だったのです。

ここで注意すべきは卑弥呼の「卑」という漢字は“いやしい”という意味で、邪馬台国の「邪」は“よこしま”という意味。奴国の「奴」は奴隷という言葉に使われる漢字です。卑弥呼の当時に中国へやって来た日本人は女王の名を「ヒミコ(火の巫女でしょうか?)」と伝えたかもしれませんがそれの発音に敢えてこのような悪い意味の漢字(非佳字)を当てはめたのは中国人で、邪馬台国や奴国という言葉も同様です。

他にも中国史に出てくる周辺異民族は「匈奴」とか「鮮卑」といった風にやはり悪い意味の漢字が使われています。
蒙古は「バカで古い」という意味で、過去の一時期のモンゴル人はこの意味も知らずに自らを「蒙古」と名乗ってそれを漢人たちは嘲笑っていたこともあったそうです。

≪中華思想≫と言って、古代の中国人は自分たちは世界の中心であると考え、その周辺の辺境の異民族を蛮族として蔑視していた。自分たちは中心の華で周辺異民族はクズといった感じで華夷思想(かいしそう)とも称します。

漢民族は自分たちの四囲にいる異民族を「東夷」「南蛮」」「西戎」「北狄」と呼んで蔑視していました。
夷・蛮・戎・狄と意味不明の漢字が並んでいますが、漢字の意味は次の説明でイメージしてください。すなわち「夷」の漢字は“大”と“弓”の合わさった文字で弓は武器であるので好戦的イメージ。「蛮」は虫という字が部首であることに注目。「戎」は武器のことで好戦的なイメージ。「狄」はケモノ偏です。
付け加えますと中国古代文書では「倭」とは日本列島に住む倭人をさした。この文字は単に小柄な人をさすという説と、蔑称であるという説もあるが、とにかく「ニンベン」であるから「蛮」や「狄」と違い人間扱いしてくれている。そんなことで喜んでも仕方ないですが。

【明日へ続く】
user_com.png C25石田 time.png 2021/03/28(Sun) 21:18 No.398
卑弥呼・邪馬台国などから
話は現代に飛びます。今現在のホットな国際問題についてです。
現在の中国については北西部・新疆の収容施設でウイグル族を拘束し、拷問や強制労働、性的虐待の告発が出ており、欧米各国はイスラム教徒が大半を占める中国の少数民族ウイグル族の人権を侵害しているとして、中国当局者らへの制裁を発動しています。米国はウイグルの惨状について民族大量虐殺にあたるジェノサイドと認定しました。
中国では他にも昔から問題視されているチベット人への弾圧、最近の内モンゴルでは学校教育での言語が中国語一本となり学校でモンゴル語を使っての教育が出来なくなりました。
これらの出来事は昨日説明した古代からの中華思想と変わりありません。相変わらず中国はその周辺に住む異民族を見下し人権を認めない。

現代の日本もこれとあてはまります。日本領土の尖閣諸島に海底資源があると判明したら、中国は自国領土と主張し始めたこと。その海域は今や中国の公船が我が物顔で航行していて日本人漁船は近寄れない状況です。以前の中国発行の地図では尖閣諸島は日本領となっていたのにそんなことお構いなしです。日本の主張は無視してとにかく中国の領土なのだと。

ウイグルの件で欧米諸国は中国と厳しく対立しております。キリスト教国の欧米諸国がイスラム教徒大半のウイグル族の人権を守る立場に立っています。アジアに多数存在するイスラム教国家は中国の支援を受けているので、同じイスラム教なのに目立ったウイグル支援の動きは見られません。
一方で日本はどうするのでしょうか。今のところは中国と対立しようとする動きは目立っていません。さらに言えば来年の北京冬期オリンピックをボイコットする国が欧米諸国でたくさん出そうです。その時に日本はどうするのでしょうか?

上記のような国際的外交問題はさておき、わが国の日本史の授業について思うことがあります。
授業で卑弥呼や邪馬台国に使われている悪い意味の漢字についてちゃんと説明し、それは中華思想によるものであることを教えれば生徒は歴史について面白いと思いもっと関心を持ってくれるでしょう。そして日本のお隣の大国についての問題点も理解してくれるはずです。
今回のウイグル問題も尖閣諸島問題も卑弥呼の漢字表記についてちゃんとしたことを知っていれば、根っこは同じと容易に理解できるはずです。
user_com.png C25石田 time.png 2021/03/29(Mon) 21:03 No.399
人文学とは?歴史学とは?⑫

フワーリズミーです。
いよいよ最終回です。今日は最後に、人文学的に情報を吟味すること、これについてお話しします。

user.png フワーリズミー time.png 2021/03/27(Sat) 11:23 No.394
人文学とは?歴史学とは?⑫
人文学は答えのない問題に対して、アクセスし得る最大限の情報を頼りに、可能なあらゆる選択肢を考える学問だといいました。
人文学においては「常識」すらも鵜呑みにせず、それは本当のところどうなのか、信じることのできる情報なのか、ということから問題になってきます。
いまの自分の価値判断は何に依拠しているものなのか、いま自分が見聞きしている情報はどういう意図で発せられたのか。与えられる情報をただ受け取るだけでなく、その裏側にあるかもしれない意図や事情にまで考えを巡らす、これが「人文学的なモノの考え方」をするということなのだと思います。

わたしたちは決してひとりで生きているのではなく、社会のなかにあるわけですから完全に自分だけの考えで生活するのは不可能です。しかしそれでも、なるべく他人の考え方や偏見、集団によって形成されるステレオタイプから自由になって思考していこうとするならば、人文学はわたしたちにとって必要不可欠な武器になるに違いありません。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/27(Sat) 11:27 No.395
人文学とは?歴史学とは?⑫
哲学者ミシェル・フーコーはかつて、哲学とは「すでに知られていることを正当化するそのかわりに、別の仕方で思考することがどのようにしてまたどこまで可能であるかを知ろうとすること」だと書きました(『快楽の活用』1984年、p.14-15より、訳は慎改康之(2005)「フーコーと哲学」、『フランス哲学・思想研究』10、78-89頁を参照)。
しかし、こうした態度はただ学者だけに求められるものではありません。さまざまな情報やら意見やら言説やらが、玉石混交、虚実ないまぜになりながら渦巻くこの目まぐるしい世界を生きるうえで、わたしたちにとってもいよいよ欠かすことのできない姿勢なのです。

わたしの話はここまでです。お付き合いくださった方々、どうもありがとうございます。補足をくださった方もありがとうございます。つぎはみなさんの番です。
ぜひとも、普段のニュース番組、新聞、さまざまな日常の語りを「人文学的に」吟味してみてください。

(メディアについては、ピエール・アルベール(2020)『新聞・雑誌の歴史』、斎藤かぐみ訳、白水社、石田英敬(2020)『記号論講義』、ちくま学芸文庫の第10章「〈いま〉についてのレッスン」を主に参考にしました。)
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/27(Sat) 11:29 No.396
人文学とは?歴史学とは?⑪

フワーリズミーです。
昨日の続きで、メディアとかニュースの話をします。

②「わたしたちが受けとる情報は、意図的に強調あるいは抑制されている」ということについて。

ここでは、新型コロナについての報道を例に取り上げます。とりわけ第1波のときに顕著だったと思いますが、報道はおもに次の3つのレヴェルが継起的に作用することで行われました。
1点目。東京や全国、あるいは諸外国の感染者数と死者数。病床使用率。
2点目。感染症の研究に携わる研究者の話や政治家による会見。
3点目。ある都市の人通りをとらえるカメラの映像や街の人の声。

user.png フワーリズミー time.png 2021/03/26(Fri) 23:53 No.387
人文学とは?歴史学とは?⑪
1点目で特徴的なのはその数詞的特徴です。
数字それ自体は、一切の解釈や意味付けを受け付けず、他から独立して存在するのですが、この数字に前日比の増減数とか年齢別割合といった、受け手の判断を誘う情報が足されていきます。「今日は大阪で100人の感染者が出た」という情報だけでは意味がありませんが、「昨日に比べて50人増えた」という比較対象が付け加えられると緊迫感が出ます。
数字は、何よりもその明証性、つまりあいまいなところがないという性質でもって、受け手に逃れようのない現実を突きつけます。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/26(Fri) 23:54 No.388
人文学とは?歴史学とは?⑪
2点目で特徴的なのはその権力性です。
研究者によって語られる情報は、こちらにその情報の真偽を確認する術はないのですが、「国立感染症研究所」とか「○○大教授」という肩書がその発言に学問的正当性を付与します。また、政治家の会見は、受け手のなかで感染症と国家の秩序維持機能とを結びつける役割を果たします。政治家によるお願いとか要請は、控えめなニュアンスとは裏腹に、その後ろに国家が控えているからこそ重みをもちます。
この学問的、政治的権力による語りは、受け手に耳を傾けさせ、その行動を指示します。

(写真は、国立感染症研究所です)
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/26(Fri) 23:55 No.389
人文学とは?歴史学とは?⑪
3点目で特徴的なのはその親近性と同質性です。
たとえば、人通りの多い街路が映し出されたとき、受け手はもはやこれを単なる風景としては認識せず、かわりに恐怖感をもちます。
さらに街を行き交う人にマイクを向けて、感染症に対するコメントを求めます。それはきいた受け手は十中八九こう思うでしょう。「あーわたしもわたしも。この人もそのように考えているのか。」
名前をもたぬ一個人の声は、定まった肩書をもたないことで、つまりお茶の間でテレビを観ている受け手と同じ立場であることを強調することで、お茶の間とテレビカメラの向こうとのあいだで、一種の想像的な共同体をつくりあげます。
そして、わたしたちはその共同体のあいだで醸し出される同調圧力に従って、感染症を対岸の火事ではなく、自らに差し迫った問題として把握するわけです。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/26(Fri) 23:56 No.390
人文学とは?歴史学とは?⑪
もう一度まとめましょう。
まず数字が、わたしたちに反論しようのない事実を突きつけ、次いで権力による語りがわたしたちにこれからとるべき行動を指示し、次いで市井とわたしたちのあいだに作られる共同体がわたしたちをそのとるべき行動に駆り立てるわけです。

ここでは、感染症の怖さを実感させ、感染症対策に協力したくなるような情報を強調しようという戦略的な配慮が見てとれます。赤や黄色の彩られたテロップや、文字の大きさとかフォントも、やはり情報の強調に一役買っています。

誤解のないように言い添えておきますが、わたしは決してコロナ禍がメディアに扇動されたものであり、感染症に対して楽観的でいるべきだといっているのではありません。
わたしがここでお伝えしたいこと、それはメディアの流している情報が事実だけを淡々と語る透明なものではなく、しばしば特定の意思のもとで受け手を操作する効果をもつようにつくられている可能性がある、ということだけです。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/26(Fri) 23:58 No.391
人文学とは?歴史学とは?⑪
メディアmediaは「媒介mediation」からきていますが、それはたんにあるがままを伝えるだけでなく、受け手をひとつの価値判断に導く効用をもちます。そして、わたしたちはこのことを自覚して、注意してニュースを受け取らなければなりません。
ですから、ニュースというのは、じつはある程度の思考力を要するものといえます。そうでなければ、知らずのうちに自分の価値判断だと考えていることが、実際は他人の価値判断だったということになるわけです。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/26(Fri) 23:59 No.392
人文学とは?歴史学とは?⑪
政党の支持率を考えてみましょう。
わたしたちの大半は実際に政治が行われる現場に身をおいたことはありませんし、政治家に会うこともあまりないでしょう。それでもわたしたちは、政治のことについて議論し、○○党を支持しようとか政治家の○○はダメだとか言います。「○○党を支持しよう」というのは、ひとつの判断なわけですが、この判断を下支えしているものは何でしょうか。材料は決して多くはないはずです。日々のニュースを除けば、せいぜいが政党事務所から家々に配布される活動報告のビラか、道端で目にするポスターくらいのものでしょう。メディアは、政党の支持率に対して否定できないほどの力をもっているわけです。

そうすると、国民の意識形成にあってメディアが果たす役割はたいへん大きいといわざるを得ないですし、それだけ日々の報道を慎重に受け取る必要があるのです。
そして、日々の報道を吟味するときに大事になってくるのが、ほかでもない「人文学的なモノの考え方」です。長かったですが、ようやく人文学の話に戻ってくることができました。

今日はすこし長く書きすぎました。
明日は、わたしたちの身の回りにあふれる情報に対して、人文学がどういう関係にあるのか。どうして現代は、いままでよりも「人文学的なモノの考え方」が必要とされるのか。こういったことをお話ししていきます。明日で最終回です。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/27(Sat) 00:00 No.393
人文学とは?歴史学とは?⑩

フワーリズミーです。

今日は、わたしたちの周りにあふれているニュースの話を入っていきます。すこし長くなるかもしれませんが、かならず昨日触れた「人文学的なモノの考え方」に帰ってきます。

昨日の最後にわたしが申し上げたことは、
①わたしたちが受けとる情報は、人為的に取捨選択されている
②わたしたちが受けとる情報は、意図的に強調あるいは抑制されている
ということでした。

user.png フワーリズミー time.png 2021/03/25(Thu) 18:53 No.382
人文学とは?歴史学とは?⑩
まず①について。
これは、そこまで虚を突いたことを言っているわけではないと思います。新聞とか報道番組とかネットニュースとか、なんでもそうですが、情報をもっている側はその情報を伝えることができると同時に、伝えないこともできます。
そして、この伝える/伝えないという判断は、全面的にメディアの側に確保されています。受けとるわたしたちは「この情報を伝えてほしい」とか「これをもっと知りたい」とかそういったことは言えないのです。

では、メディアはなにを基準にして、数ある情報のなかから伝える/伝えないを区別しているのでしょうか。
いろんな基準があるでしょうけど、すぐに思いつくのは「多くの人が知りたがっているとメディアが予想している情報」と「どこかから伝える/伝えないように要請された情報」でしょう。

前者は、分かりやすくいえば「センセーショナルな情報」ということになると思います。最たる例は週刊誌に求められるでしょう。一時期、「文春砲」という言葉が流行りました。芸能人の誰々が不倫していただとか、政治家が時短要請に応じない店で深夜までどんちゃん騒ぎをやっていただとかをすっぱ抜く、あれですね。
なぜそんなことが起こるのか。それはおそらく、メディアがすべて資本主義経済と分かちがたく結びついていることに起因します。
おおやけに「御用新聞」とか「国定メディア」がない日本にあって、メディアの消長はいかに多くの人に手に取ってもらえるかにかかっています。どんなに練りこんだ記事もニュースも、見聞きしてもらうことによってはじめて価値をもちます。
より多くの人が見聞きしていると予想するからこそ、企業は新聞に広告をだしたり、番組のスポンサーになったりします。そして、メディアもそこを分かっているからこそ、番組改変期にはワイドショーのキャスターを替えてみたり、コメンテーターに話のうまいタレントを入れてみたりするわけです。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/25(Thu) 18:55 No.383
人文学とは?歴史学とは?⑩
後者は、たとえば緊急地震速報なんかを挙げることができるでしょう。どんなに重要なニュースを流しているときでも、あのフラットだらけの半音移動が2回流れた途端に、画面はスタジオに切り替わり、アナウンサーが緊迫した表情で、地名を羅列しはじめます。この場合、情報は気象庁およびそれを管掌する政府から要請されたものを流しています。

逆の例としては、国家による情報の検閲を考えることもできます。
こうした例は歴史を少しでも学んだひとならば、もう無数に挙げられるはずです。戦前の日本には新聞紙法というのがありましたし、ナポレオンは政権を握るやいなや法律を発してそれまでパリにあった73紙のうち実に60紙を廃刊処分としたのでした。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/25(Thu) 18:56 No.384
人文学とは?歴史学とは?⑩
例に挙げたのはいささか極端な場合ですが、わたしたちに身近な場合では、新型コロナが流行して以降、殺人事件とか交通事故の報道が減ったように感じられませんか。
しかし、これも実際に事件事故が減ったからではなくて、それよりも重要なニュースがあったために放送時間内でそれを伝えることができなかったからだ、と考えることもできます。

今日はおもにニュースにおける情報の取捨選択についてお話ししました。明日は、情報の意図的な強調&抑制の話をします。意図的、というところがポイントです。それでは。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/25(Thu) 18:57 No.385
人文学とは?歴史学とは?⑩
ちょっと割り込ませてもらって、書きます。
ある評論家、ここではA氏としましょう。その人が言っていました。自分がコメンテーターの一人として出たTV番組でのこと。その番組を見たA氏と懇意な人が、次のようなことを言ってきました。「あの番組ではあなたが常から主張されていたことをなぜ一言もおっしゃらなかったのですか?」と。
実は番組収録ではA氏は自分の主張をよく発言していたのです。それが編集段階でカットされて、放送される段階ではA氏は肝心なことについて何も発言していないことになってしまっていたのです。
新聞や雑誌の取材で発言の一部のみを切り取って主張内容をかなり捻じ曲げたものとして報道されることもあるそうです。発言者は油断もスキもないのです。
新聞社などは自社のスタンスに都合の悪いことは「報道しない自由」を持っていますね。
user_com.png ヒマ人 time.png 2021/03/26(Fri) 11:30 No.386
人文学とは?歴史学とは?⑨

フワーリズミーです。

昨日は人文学がどういう学問か、ということをいささか私見も交えながらお話しました。
それはそうと、3日前、史料の正しさについて書いたコラムのなかで、歴史学をやる意味はいったいどこにあるのか、という問題を残しておきました(「しかし、真実が不在だと分かっているのなら、歴史学をやる意味はどこにあるのでしょうか」というところです)。
しかしいまや、この問題に答えることは難しくありません。
人文学は答えのない問題に対して、考えられるいろいろな選択肢を提示する営みで成り立っている、といいました。
歴史学は、過去の人びとの営みを考えること、しかもあらゆる「当たり前」を排して、なるべく透明な眼で過去を見つめることによって、人文学をやっているわけです。

以上で、冒頭に書いた目的、つまり歴史学や人文学がどういう学問かを知っていただこうという目的はある程度達成できただろうと思います。
しかし、いままでお話してきたようなモノの考え方は、果たして歴史学や人文学に携わる研究者だけが必要とするものなのでしょうか。学問からはおよそ離れた場所で生きているわたしたちには、ぜんぜん関係のない認識の仕方なのでしょうか。わたしはそうではないと感じます。いやむしろ、現代はいままでよりも「人文学的なモノの考え方」が必要とされているような気さえしています。

残りの部分では、そのことについて書くことにします。この文章で、わたしの意見は極力述べないつもりですが、もしかしたらフワーリズミー私見が入りこむかもしれません。あらかじめご容赦ねがいます。

user.png フワーリズミー time.png 2021/03/24(Wed) 22:14 No.380
人文学とは?歴史学とは?⑨
現代はとりわけ情報にあふれている時代だといえるでしょう。
それはたんに量のことだけをいっているのではありません。情報の質もまた多様化してきました。巷間にはウソかホントか分からない情報が出所不明なままに流布し、しかも情報はしばしばウソかホントかよりもセンセーショナルかいなか、によって流布する度合いが変わります。
たとえば、前米大統領トランプさんを引き合いに出しましょう。彼の支持者が合衆国議会の議事堂に乱入したというニュースに比べて、彼が中東地域でイスラエルと周辺諸国の和平を仲介したというニュースは日本でどれくらい報道されたでしょうか。

明日以降の文章で、お伝えしたいと思うのは次の2点です。
①わたしたちが受けとる情報は、人為的に取捨選択されている
②わたしたちが受けとる情報は、意図的に強調あるいは抑制されている

今日はもう、それなりの分量になりましたから、続きは明日に回します。今日はここまで。。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/24(Wed) 22:16 No.381
人文学とは?歴史学とは?⑧

フワーリズミーです。
昨日は人文学に登場してもらいましたし、哲学のちょっと込み入った話もしました。

user.png フワーリズミー time.png 2021/03/23(Tue) 22:58 No.377
人文学とは?歴史学とは?⑧
今日は、人文学とは何かについてもうすこし掘り下げてみましょう。

大学の学問に置き換えてみると、人文科学のなかにはわたしがかつて勉強していた歴史学、それから文学が入ります。
教育学や宗教学や言語学なんかも入るかもしれませんが、これは社会科学にあたるかもしれません(府大で教職をとろうとすれば、かならず公共政策学部のお世話になります)。

ここでは、さしずめ文学と歴史学を人文科学と考えましょう。文学のこととなると、完全にわたしの手に余りますが、要は詩や小説、戯曲など、人の手によって書かれたものを読み込んではそれを解釈したり批評したりする学問と理解されています。あるいは、ある時代に著された作品群を取り上げて、それが書かれた当時の時代精神のようなものを読みとろうとするアプローチもあり、歴史学とも通じるところがあるような気がしますし、たとえばフレドリック・ジェイムソンの『政治的無意識』(1981年、平凡社)には社会科学の知見が作品の分析に、ふんだんに用いられます。また大学の文学の授業で教科書として使われることも少なくないピーター・バリー『文学理論講義』(2014年、ミネルヴァ書房)には、イタリアの歴史家クローチェやイギリスの歴史家であるE.P.トムスンも登場します。

さて、解釈と批評。2~3日前、歴史学では解釈や評価が重要な意味をもっているといいましたが、文学もこれに似ていると思いませんか?そうです、歴史学が過去の出来事やら過去の人間の生活を研究するのとよく似た姿勢で、文学は人が書いたものについて研究しているのです。そして、文学の世界にもやはり、正解は存在しません。

(写真は夏目漱石。あなたにとっての「文豪」はだれでしょうか。)
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/23(Tue) 23:00 No.378
人文学とは?歴史学とは?⑧
ここまでお話してきて、ようやく人文学とはどういう学問か、という問いにひとつの回答をあたえるところまできました。
人文学、さしあたっては次のように考えることにしましょう。
すなわち、答えのない問題に対して、アクセスし得る最大限の情報を頼りに、可能なあらゆる選択肢を考える学問である、と。人文学において、「常識」というのはあまり重要な意味をもちません。いま常識とされていることすらも、一度は疑ってみる。それはどうして常識なのか。いつから常識なのか。誰にとっての常識なのか。

ですから人文学を修めていたからといって、ひとの病気が治せるわけでもなければ、ひとの飢えや渇きを癒せるわけでもありませんし、就職にもつながりません。
人文学は、とうてい実学ではなく、いわば立派な虚学です。その価値はなかなか理解されにくいでしょうし、どころか最近みられるようにお払い箱にされる傾向すらあります。しかし、ひとびとがいま生きている世界はどうなっているのか、どうあるべきなのかを考える学問が不用になることは決してないだろうと思います。
わたしの話も最終盤まで来ました。今日はここまでです。

(人文学についての話は、安酸敏眞(2018)『人文学概論』、知泉書館、隠岐さや香(2018)『文系と理系はなぜ分かれたのか』、星海社新書(写真参照)、も参考にしました。)
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/23(Tue) 23:02 No.379
人文学とは?歴史学とは?⑦

フワーリズミーです。
昨日の京都新聞、読まれたかたいらっしゃるでしょうか。
3日目のコラムでわたしが参考にした研究者、田端泰子さんが「天眼」(3面)を書かれてました。一級史料である『大乗院寺社雑事記』に収録されている日記を書いた、尋尊の話でした。

さて今日から、「人文学」の話をしていきたいのですが、すこしここまでの内容をまとめておきます。
まず歴史学では、古文書とか土器の破片といった史料も大事だが、そこから分かることをどのようにまとめるかが歴史家の腕の見せどころだという話をしました。それゆえ、歴史学はどこかにあるだろう答えをみんなで探していく学問ではなく、確実な史料をつかってより実態に近い過去を復原していこうという学問です。そうして描かれたストーリーが歴史なのです。
もちろん過去のどの側面に焦点を当てるかで、あらわれてくる解釈、描かれるストーリーは異なってきますが、そのどちらもウソの史料に基づいていないかぎり、あるいは作り話でもないかぎり、誤りにはなりません。富士山だって、静岡県側から見たのと、山梨県側から見たのとでは風景が違うはずですが、そのどちらもが富士山ありのままの姿であるのと同じです。

つまり歴史学は、どこかに神聖不可侵の真実があるわけではなく、つねに新しい視点からの新しい解釈によって変わってゆくことで、発展してきたのだともいえます。

(写真は、国際宇宙ステーションからみた富士山です)

user.png フワーリズミー time.png 2021/03/22(Mon) 21:30 No.373
人文学とは?歴史学とは?⑦
さて、人文学の話です。

ここでみなさんには高校3年生にタイムスリップしていただきましょう。このときみなさんは、もはや同級生とまったく同じ勉強をしているということはなく、どの大学どの学部に進むか、あるいはどの職業に就くかで、大きく2つあるカテゴリーのうちの一方を選択していたはずです。2つのカテゴリー、つまり文系と理系です(文科/理科といっていた頃もあり、いまでも東大は文科一類とか理科三類という呼び名をつかいます)。京都府立大でいえば、文学部と公共政策学部は文系、生命環境学部は理系となります。

しかし、ヨーロッパではこれとは異なる区分をします。それが人文科学、社会科学、自然科学です。たとえば先日行われた、第1回の大学共通テスト、これの科目を3つの区分に当てはめてみましょう。
国語は疑いなく、人文科学です。日本史世界史や地理も人文科学、英語も人文科学にあたります。一方で、倫理や政治経済は社会科学にあたります。数学や理科はすべてまとめて自然科学に入ります。つまり、人間の知的文化を扱うのが人文科学、法律やら経済やらといった社会の原則を扱うのが社会科学、自然界の法則を扱うのが自然科学というような分け方です。
じつは府大の学部構成はこの3区分に厳密に対応していて、人文科学を学べるのが文学部、社会科学を学べるのが公共政策学部、自然科学は生命環境学部という配置です。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/22(Mon) 21:32 No.374
人文学とは?歴史学とは?⑦
コラム〈哲学について補足、すこし分かりにくいかもしれません〉

いろいろある学問のなかで、哲学だけはすこしことなる立ち位置にあります。「哲学」という日本語は、それが生まれたギリシア語のφιλοσοφίαや英語のphilosophyからきていますが、これはもともと「知(ソフィア)を愛する(フィル)」という意味です。その言葉の意味からして、知というものの全般を扱っているわけですから、世の中にある全ての学問は哲学ということができるわけです。
じっさい、哲学史のはじめに出てくる古代ギリシアの賢人たちは「世界はなにで出来ているか」という問いをずっと考えていましたから、広義の自然科学的なアプローチから思索をスタートさせていったといえそうですが、のちに現れたソクラテスやプラトンなんかは天下国家のことまで議論して人文科学や社会科学の範疇にも足を延ばしました。
いまの哲学はさしあたり、「ものを考えることについて考える学問」といえると思いますが、いみじくもイマヌエル・カントが「ひとは哲学を学ぶことはできない。哲学することを学ぶだけだ」といったように、自分の頭で考えることは全て哲学に入るのだろうと思います。わたくしフワーリズミー自身は、哲学は文系/理系のいずれにも、また科学の3区分のいずれにも、カテゴライズできないと思っています。

(写真はソクラテスです)
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/22(Mon) 21:34 No.375
人文学とは?歴史学とは?⑦
今日は人文学という領域を紹介しました。明日はこの人文学がどういう学問か、ということについてもう少しみていきます。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/22(Mon) 21:35 No.376
人文学とは?歴史学とは?⑥

フワーリズミーです。
今日は、すこし史料の話をしたいと思います。歴史家は、ぜったいに史料に基づいてしか歴史を描くことはできないわけですが、その史料も果たしてどこまで信頼できるのか、これは大事なことです。

user.png フワーリズミー time.png 2021/03/21(Sun) 14:37 No.369
人文学とは?歴史学とは?⑥
〈コラム〉史料の正しさについて
どんなに腕の立つ料理人も材料なくして一品を仕上げることができないように、どんな練達の歴史家も史料なくして歴史を書くことはできません。
しかし、史料はつねに正しいのでしょうか。また、史料に基づいて書かれた歴史は、ぜったいにその時代の実態を可能な限り反映しているといえるのでしょうか。

史料は次の2つの点で信頼に値しない可能性があります。すなわち、ひとつははじめから事実を捻じ曲げてウソを書いている史料、もうひとつは作者の個人的な偏見が多分に混じっている史料です。
このうち歴史家が特に注意しなければならないのは、後者だとされてきました。史料を読むのも人間なら、書いているのもやはり人間です。史料を書いた人はだれで、その人はどういう人物で、その史料を書いた目的はなんだったのか。こういったことを十分に踏まえたうえで、史料を読まなければならないとされます。
そうでないと、史料を書いた人の偏見ないし個人的な考え方に後世の歴史家も踊らされます。たとえばいまの日本に置き換えても、ある政治家の発言なんかが取り上げられて、数百年あとの歴史家から「21世紀当時の日本人はこのような考え方をしていたのである」などと書かれてはたまりません。他にもそうした考えをする人の多くいた証拠があるならまだしも、ひとりやふたりの意見がその人の属していたコミュニティを代表していたと考えるのは無理があるわけです。

(写真は、史料そのものの信頼性を吟味する「史料批判」をはじめたランケです)
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/21(Sun) 14:40 No.370
人文学とは?歴史学とは?⑥
一方で、はじめからウソを書いている史料のほうはあまり真面目に取り上げられないようです。それは大半の場合、すぐにウソと分かるからなのですが、しばしば郷土史(たとえば自治体が編んでいる○○市史のようなもの)にウソの史料が使われて一般の市民に紹介されている場合があります。
わたしたちの周りにもそうしたウソの歴史が少なからず存在すると暴露したのが、中公新書から去年出た、馬部隆弘『椿井文書』です。この本によると、とりわけ近畿圏の市町村史に活用されている史料類のなかには相当数の偽文書が紛れ込んでおり、しかもそれらの多くは椿井政隆というひとりの人物の手によって意図的に創作されたものであるらしいです。偽文書の出回っている地域があまりに広範なのと、その圧倒的な数量のために、専門の研究者でさえしばしば気づかなかったのだと指摘されています。
もちろんこの本じたいも批判の的になる可能性があると思いますが、さしあたり強調しておきたいのは、どんなに権威のある知識や学説もそのなかにウソが混じっているかもしれない、ということです。いまわたしたちが知っていることはいわば「暫定的真実」、つまり「いまのところは大多数によって正しいとされていること」にすぎないともいえるわけです。

(写真は「椿井文書」とよばれる偽史料のひとつです)
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/21(Sun) 14:42 No.371
人文学とは?歴史学とは?⑥
しかし、真実が不在だと分かっているのなら、歴史学をやる意味はどこにあるのでしょうか。なぜ、わたしが歴史学の内容をこんなに長々とみなさんに説明しているのか、疑問に思われた方もいらっしゃるでしょう。この問いを残したまま、タイトルにも含まれているもうひとつの学問体系、「人文学」の話に移ります。
user_com.png フワーリズミー time.png 2021/03/21(Sun) 14:43 No.372

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