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≪妻の急死≫
良き家庭人でもあったバッハ(1685 - 1750)、彼とその家族についてお話し申し上げます。
バッハは22歳で又従妹のマリア・バルバラと結婚し五男二女をもうけるも3人は夭折している。
そしてバッハがケーテンで勤めていた35歳1720年のことである。領主に随行して旅に出て2か月後に帰宅したら、元気に送り出してくれた妻が急死していたことを知らされる。
12歳の娘を頭に3人の息子、計4人の子供を抱え残されたバッハは途方に暮れたに違いありません。
写真はケーテン市庁舎
合一会合唱団の宣伝第8号 - 石田事務局長 2019/01/03(Thu) 07:31 No.1561≪16歳若い部下と再婚≫
妻の死の翌年、36歳でバッハは20歳のアンナ・マグダレーナ(1701−60)と再婚します。
彼女はケーテンの宮廷で歌っていたソプラノ歌手でしたから、宮廷楽長だったバッハの部下にあたるでしょう。
彼女は4人も子供のいる16歳年上の上司である宮廷楽長からプロポーズされたわけです。
そりゃ断りにくい部下という立場であったとは思いますが、バッハに4人もの子供もいるので半端な覚悟で結婚したのではないでしょう。
そして彼女は家事以外にもバッハの楽譜の整理をする仕事も受け持ちました。「糟糠の妻」として後世に知られています。
写真はケーテン城合一会合唱団の宣伝第8号 - 石田事務局長 2019/01/03(Thu) 08:07 No.1562≪大家族のために稼ぎ続けたバッハ≫
バッハは生涯に2度結婚し、十一男九女の合計20人の子供をもうけたが、10人は夭逝し、成長したのは男子6人と女子4人の10人でした。
実はバッハはこの大家族を養うために、特に38歳でライプツィヒへ転職してからは正業以外に音楽関係の色んな「アルバイト」をして働きまくりました。
冠婚葬祭などの音楽に対する謝礼、オルガン鑑定、楽器の管理……等々の副業からの収入が正業の聖トーマス教会からの給与の何倍もあったのです。
かようにバッハは38歳から亡くなる65歳まで勤めていたライプツィヒでは仕事に忙殺されていました。
そして今日演奏されているバッハ作品の大半はライプツィヒで生まれたものです。『マタイ受難曲』もその中の1曲です。
写真はバッハが勤めていたライプツィヒの聖トーマス教会。合一会合唱団の宣伝第8号 - 石田事務局長 2019/01/03(Thu) 09:17 No.1563≪バッハの息子たち 長男フリーデマン≫
バッハは息子たちの教育や就職に積極的に関わりました。バッハの6人の息子たちについて記します。父親としてのバッハの苦労が分かります。
バッハのような立派な人でも、息子たちについては思い通りに行かないのものと分かります。人生は難しいものです。
長男は一番楽才に恵まれていた。ドレスデンの教会オルガニストになりましたが、その就職のためにバッハは当地の市議会や教会役員に選願書を書いた。
その後別の教会オルガニストに転職する時もバッハと関係の深い教会に移っています。しかし長男はそこもうまくいかず突然辞職。
高名な父のプレッシャーもあったのかとりわけ長男の後半生では奇行が目立った。この長男はその後、死ぬまで定職に就かず。74歳で亡くなる。
写真は聖トーマス教会のバッハ像合一会合唱団の宣伝第8号 - 石田事務局長 2019/01/03(Thu) 09:21 No.1564≪バッハの息子たち 2番目エマヌエル、3番目ベルンハルト≫
2番目は優等生。息子たちの中で一番父親に忠実で、家族への面倒見もよく、父の伝記を書き、その遺産を管理し、そして父の作品を伝える役割を担った。
音楽家としても優秀で順調に出世して、父と同様幅広いジャンルの曲を書いて成功した。74歳で死去。
三番目の息子はバッハ曰く「不肖の息子」。父親の世話で2度教会オルガニストに就職するもどちらも1年ほどで辞める。その後負債を残したまま行方不明に。
結局この男は24歳の若さで親戚の家で世を去る。
写真は聖トーマス教会のステンドグラス。
続きは次回に。
皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
今年は合一会合唱団の発足の年で、2月10日(日)は第1回練習日です。
昨年末現在で参加申込者38名、それと未定な方が3名です。これから申込される方はお早めにお願いいたします。
× × × × ×
さて、合一会合唱団の宣伝としてバッハ紹介の続きを再開しましょう。バッハについて雑学的な興味を持っていただけたらと思っております。
なおこの企画では美しいドイツの風景写真をたくさん取り入れて、ドイツ名所観光案内みたいな感じで行くつもりです、ヨロシク。
写真はバッハ(1685 - 1750)が38歳から65歳で亡くなるまで住んで仕事をしていた現在のライプツィヒの街並みです。
ライプツィヒは旧東ドイツ南部のザクセン州にある都市です。
合一会合唱団の宣伝第7号 - 石田事務局長 2019/01/01(Tue) 07:32 No.1556≪給費生となる≫
10歳で薄給オルガニストの長兄に引き取られた孤児のバッハ少年は、物乞いのような音楽活動をして暮らしていました。
兄は経済的には豊かでないのでバッハは給費学生になって学業を続ける道を選びました。
ドイツ北部リューネブルグの聖ミカエル教会付属学校の給費学生に15歳で応募して入学します。そこで本格的な音楽修行を積みました。
写真は聖ミカエル教会。教会のあるリューネブルグはハンブルグ南東50キロにあります。合一会合唱団の宣伝第7号 - 石田事務局長 2019/01/01(Tue) 07:38 No.1557このようにしてバッハは貧しいながらも学業を修めました。
ただ大学にまで進学できませんでしたので、就職してから大卒でない学歴のためで色々と不利なことがあり、悔しい思いをしています。
そこのところは今の日本社会と似ているといえそうですね。
こちらの写真は上で紹介した聖ミカエル教会の空撮写真ですが、街並みが整然と統一されていて美しいですね。合一会合唱団の宣伝第7号 - 石田事務局長 2019/01/01(Tue) 08:01 No.1558≪初めての職はパシリの音楽家≫
1703年18歳で初めてヴァイマルにて就職する、職名は「宮廷楽師 兼 従僕」。
宮廷音楽家と言えばカッコイイが、使い走りもさせられる下っ端の音楽家からバッハはスタートしました。
その後バッハはオルガニストとしていくつかの職場を渡り歩きつつ地位も上がっていき、38歳の時にケーテンからライプツィヒに転勤。
そこで聖トマス学校のカントル(聖歌隊指揮者)兼音楽監督に任命され、この地位に死ぬまでとどまりました。
写真はバッハが32歳からライプツィヒへ転職するまで宮廷楽長(宮廷音楽家の最高位)を務めていたケーテンの街角風景。
バッハ広場から延びる道の先にこの街のシンボル的な聖ヤコブ教会の2本の塔が見えます。ケーテンは旧東ドイツの中央南部の小都市。合一会合唱団の宣伝第7号 - 石田事務局長 2019/01/01(Tue) 08:08 No.1559≪良き家庭人だったバッハ≫
ここからは家庭人としてのバッハについて触れます。彼は家庭を大事にした人でした。バッハ家ではよく家庭音楽会も開いていました。
彼は22歳の時にミュールハウゼンの聖ブラジウス教会のオルガニストになりました。
その年に婚約していた又従妹のマリア・バルバラ(1684−1720)と結婚しました。彼女も音楽家の家系に生まれ、ともに末っ子で両親を亡くしていました。
写真は聖ブラジウス教会の礼拝堂。バッハはここで結婚式を挙げたのでしょうね。
所在地のミュールハウゼンとは旧東ドイツ南西部にあったチューリンゲン州の街。
良き家庭人としてのバッハの話は次回にて。
合一会合唱団で選曲した宗教小品集にはバッハ、モーツァルト、シューベルトという3人の大作曲家の作品を選びました。
今回の企画はこの3人の紹介を順番にして行くことといたします。内容は気楽に読めるようなものを心がけてまいりますのでヨロシク。
合一会合唱団の宣伝第6号 - 石田事務局長 2018/12/30(Sun) 11:06 No.1552≪本当はカツラだった肖像画≫
まずバッハ(1685-1750)です。有名な肖像写真をご覧になってください。本当にイカツイ顔ですね。
バッハの性格は 「一本気で言い出したら聞かない性分で、誰にでもいい顔をするような人間ではなかった」とされています。まさに肖像画はその雰囲気を伝えています。
豊かな髪の毛はカールしているようですが、これはカツラです。実は中世ヨーロッパでは カツラをかぶるのが正装とされていたんです。
ですから肖像画になる時も当然正装ですからカツラをかぶります。カールしたカツラは貴族のなかで人気で当時流行の最先端でした。
では本当の髪型はどうだったのかと言えば、バッハは髪の毛を剃ってカツラをかぶっていたとされています。
当時は髪を洗うという文化がなかったので髪をツルツルに剃ってしまった方が衛生的で病気になりにくいとされていたのです。
坊主頭とカールをしたカツラをかぶったのとでは、肖像画の雰囲気は全く異なったものとなっていたでしょうね。合一会合唱団の宣伝第6号 - 石田事務局長 2018/12/30(Sun) 11:08 No.1553≪音楽家の家系に生まれる≫
バッハは祖父の代からの音楽家の家系に生まれました。バッハの父はアイゼナハ(旧東ドイツの南西部)の町に勤める町楽師でした。
写真はバッハ生誕の地、アイゼナッハにあるバッハ像。その像の左側に「バッハの家」があり当時の楽器などを展示しています。
当時は音楽家が職人のように先祖代々受け継がれる職業だったのです。それでバッハは当然音楽家になる道を歩みました。しかしそれは平坦な道ではありませんでした。合一会合唱団の宣伝第6号 - 石田事務局長 2018/12/30(Sun) 11:10 No.1554≪10歳で孤児になり、音楽で物乞い≫
バッハは10歳の年に父親に死なれ、前年に母が死んでいるのでその時点で彼は孤児になってしまいました。
それでオールドルフという街で教会オルガニストをしている長兄に引き取られました。
写真は長兄が勤めていた聖ミヒャエル教会の塔です(第二次大戦の空襲で破壊され戦後再建されました)。
前年に結婚したばかりで就職したてでもあった長兄一家の生活は結構苦しかったはずです。
そのためでしょうかバッハは教会の聖歌隊に加わりました。貧しい階層の少年たちからなる聖歌隊は、施しを求めて街を回ったり、結婚式や葬式、宴会に出張して歌を歌いました。それは、物乞いに等しい仕事でした。
☆ 次回に続きます
現役の定演で中断していた合一会合唱団の宣伝を再開します。今回は音取り音源CD作製の話です。
個人練習用音取り音源CDは、私が作製担当しております。
使うソフト“KAWAI スコアメーカー9”で、これはオーケストラといった大規模編成の楽譜も作成できるソフトです。
そこに音取り音源としたい楽譜ソフトを入力すれば、それを変換して“ウィンドウズ・メディア・プレーヤー”にも登録できます。
御存じの通りそのメディアプレーヤーに登録しさえすれば、そこから自由にCDが作製できます。
合一会合唱団の宣伝第5号 - 石田事務局長 2018/12/23(Sun) 17:06 No.1548例えばモーツァルト作曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を例にとって音取り音源作製の説明をいたします。
まず、スキャナーで楽譜を1ページずつ読み込んでいきます。
下の写真が読み込んだ楽譜の1ページ目を表示したもので、画面を下方へスクロールしていけば2頁目以降も表示できます。
スコアメーカーへ楽譜の入力の仕方ですが、スキャナーで読み込めばピアノ伴奏付混声四声の楽譜が簡単に登録できます。
下の画像のように取り込んだ四声合唱とピアノの合計6段の楽譜が画面表示されています。
この画面上の楽譜は自由に編集することが出来ます。ここではアルトパートの音取り音源を作製することとします。
それにはアルト以外の3パートの楽譜を抹消してしまえばよいわけです。合一会合唱団の宣伝第5号 - 石田事務局長 2018/12/23(Sun) 17:12 No.1549アルト以外の3声の音符を消したら画像の通り、アルトのみが残った楽譜が出来ました。
音符を消す作業は消す対象を選択してDeleteキーを使えば簡単に出来ることは皆さん御存じでしょう。
これによってピアノ伴奏付のアルトパートの音取り音源が出来ました。合一会合唱団の宣伝第5号 - 石田事務局長 2018/12/23(Sun) 17:18 No.1550あとは各パートの音色を何にするかを決めます。音色はパートごとに決められます。
各パートの音取り音源の音色は今まで使い慣れてきたポータホンの音色に近い「リードオルガン」のみとしておきました。
画像のようにたくさんの音色の選択肢から「リードオルガン」を選ぶわけです。
音色は数百種類あり、三味線や大正琴もあります。伴奏のピアノはもちろん「グランドピアノ」の音色です。
この楽譜ソフトをウィンドウズ・メディア・プレーヤーに登録してしまえば、あとはそこから音取り音源用CDを作成できます。
≪1ステ≫
#今回は団員数が今までで一番少ないということでしたが、聞いてみると決して細々とした感じでなく人数が少ない中でも迫力がある声量でした。
#パート間のバランスのために女声の中にはパート替えをしている人もいるし、色々と苦労は多かったのではないかと思います。
#2曲目が個人的には気に入っており、男声はもちろん、女声の声も落ち着いた、低めの声で、かっこよかったです。
#終曲は、明るい曲調と楽しそうに歌う姿にこちらも元気がもらえました。
〔シャトルさんより指揮者について〕
体幹がしっかりしていたので(きゃしーのスポーツ経験が活きていますね)、打点のブレが少なく見えました。
去年は身体を揺らすことで楽しそうな感じを表現しようとしていたと思いますが、今年は曲の表情は腕で表現しようとしていて、これぞ指揮者と思いました。
始点が低いのが残念でしたが、去年より程よく脱力も出来ていて、成長しているなと感じました。
第61回定演の評価 続編 - 石田事務局長 2018/12/11(Tue) 06:38 No.1544≪2ステ≫
#選曲がポピュラー曲ばかりでなくシューベルトの「野ばら」や「シュテンチェン」とクラシック曲もありポピュラー曲に弱い者でも楽しめた。
#ソロ(1年生ですかね?)が、みんな堂々としていて、頼もしかったです。
#4回生のべっちが、ピアノ全曲弾いていて、驚きました。シテンチェンが懐かしかったです。
#ほぼ全曲が外国語曲で難しそうなのに、すごく練習したんだろうなと思いました。
#様々な言語やジャンルの曲に挑戦し、1回生もソロを立派に歌っていたので意欲的に取り組んでいたのだなと思いました。
#歌詞パンフを見れば2ステの物語のあらすじが理解でき、また演奏曲目も分かるので有難かったです。ついでにソリスト名も書いてあげても良いのではないかと思いました。
#ジョン・デンバーの「カントリー・ロード」、もう50年近く前の曲になります。また「オーシャンゼリゼ」も同じ頃ヒットしました。私の青春時代の懐かしい曲をどうもありがとう。第61回定演の評価 続編 - 石田事務局長 2018/12/11(Tue) 06:43 No.1545≪3ステ≫
#特にこのステージでは人数が少ないのに声量が迫力あり驚きました。
#歌も手を叩くタイミングも、難しそうでしたが、ぴったり揃っていました。他のステージでもありましたが、3ステが特に一番上手で、きれいな歌声だったような気がします。
#ボディランゲージといったらいいのでしょうか?体を使って表現することも多かったですし視覚的に面白かったです。
#3曲目『骨』が 「 踊り狂うぜ 叫びまくるぜ ステップ踏むぜ と骨が笑う 」といった激しい内容の歌詞にあわせた作曲で、演奏も歌のみでなく身振り・手叩き・足踏み鳴らし‥‥とすごく印象に残りました。
また伊東先生もその指揮に応える団員達それに真利枝先生も一体となってこの前衛的な曲を表現しきっていて見事でした。第61回定演の評価 続編 - 石田事務局長 2018/12/11(Tue) 06:49 No.1546≪シャトルさんより女声の評価≫
中音域を柔らかく出せる女声が多い年だと感じたので、今年の曲集と相性が良かったような気がしました。
府大は「響きのある歌声」というのを理解した上で出せる女声が少ないです(私自身他団で覚えました)。出せない人の中にも、ときどき無意識に響きをキープして音を出せる人もいるのですが、全体を通して響きのある部分とない部分の差が少し気になりました。
≪シャトルさんより男声の評価≫
声分け(パート分け)と実際出しやすい音域が合っている人が多い印象を受けました(昔はなかなか合っていないことも多くて苦労した先輩もいらっしゃったと思います。)
苦しそうな声が聞こえず、伸びやかでいい声だなと思いました。また、声の方向性がかなりまとまっていて、人数以上に厚みが出ていました。
× × × × ×
≪今後とも現役にご支援を≫
定演パンフの末尾には来年6月30日の同志社コールフリューゲルと大谷混声との三団ジョイコンの宣伝が載っておりました。会場は同志社大学寒梅館ハーディーホールにて。
会場はいつもは城陽プラムホールとなるはずでしたが、団員数減によるわが団の苦しい財政事情を他団が考えてくれてゲルさんの大学の施設を使うこととなったそうです。
このように現役は友団からも暖かい対応を受けております。
OBの皆さんもよろしくお願いいたします。今後とも少ない団員数で頑張っている現役たちを支援していきましょう!
普通でしたら石田と若手合一会役員が集まって意見を出し合うのですが、
今回は定演に行けたのが はるぱんとさんと とぅるさん、それに石田と少人数で、メールのやり取りで評価することとしました。
あと特別に今年卒団された一昨年の正指揮者しゃとるさんからの感想をいただいております。
第61回定演の評価 - 石田事務局長 2018/12/10(Mon) 05:59 No.1540まずチラシについて評価させていただきます。
太陽光に照らされている地球と広い太平洋 そしてその地球の周りには明るい緑の木の葉と青空が配されています
とても明るく爽やかな図柄です
まず1ステの混声合唱組曲『太陽と海と季節が』のイメージです
1曲目の題名は組曲名と同じですがその歌詞に “風は‥‥草と木を吹いて 花と葉の色を 光の中に目覚めさせた”
2曲目「海の記憶」には “青い波に浮かんで 青い空を見た”
3曲目「林の中を私は歩く」の歌詞では “林の中を私は歩く すると 風が来て肩を並べる 木の葉や草にそうするように”
そして2ステではアメリカの4人の若者たちが世界各地へ行くストーリーでまさに地球のイメージです第61回定演の評価 - 石田事務局長 2018/12/10(Mon) 06:05 No.1541チケットもチラシとほぼ同様の図柄です第61回定演の評価 - 石田事務局長 2018/12/10(Mon) 06:37 No.1542定演パンフは写真のように開いて表と裏の表紙を見ればガラスでできた天使が向き合っている図柄と分かります。
全体に温かみのあるデザインですが、まず12月ですからクリスマスのイメージ
また顔の部分に緑の葉が写っており1ステのイメージ
そして何より2ステはキリスト教教会での祈りのシーンから始まり、「天使にラブソングを」の劇中歌がありました。
更に3ステ、伊東先生指揮の『かなでるからだ』の1曲目「皮膚、肌」の後ろの方に次のような歌詞が出てきます。
“波の音と風の音 海の音と空の音 裸の皮膚には音楽が鳴り響く ああ、モーツァルトだ”
この部分がモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」のメロディをそのまま使っているのです。
参考のために伊東先生が別の団体を振った演奏のユーチューブがありましたので聞いてみて下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=EG6idJVvZXQ&list=PLXgpNyter2L0mjHI-0kBOFxH9FpmWjC-t
それで3ステにもキリスト教をイメージする部分があったので、この天使は三つのステージすべてのイメージに関わっていると言えます。
演奏に関してはまた明日書き込みします。
舞台は会場のロビーに移ります。私がホールを出た時には団員たちは既に整列して歌っておりました。
第61回定演写真─ロビーコール - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:56 No.1532ロビーコール第61回定演写真─ロビーコール - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:57 No.1533ロビーコール第61回定演写真─ロビーコール - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:59 No.1534ロビーコール第61回定演写真─ロビーコール - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 06:04 No.1535きゃしー指揮者が演奏を続けようという素振りを見せたら
「ちょっと待った!」の声と共に、なおゆき前正指揮者が登場してきて愛唱歌“ライド・ザ・チャリオット”を振りました。第61回定演写真─ロビーコール - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 06:13 No.1536ライチャリのソロは左近前幹事長。第61回定演写真─ロビーコール - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 06:17 No.1537なおゆき指揮者からまたきゃしー指揮者にバトンタッチして、本日の最後を締めくくる「鴎」の演奏です。第61回定演写真─ロビーコール - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 06:29 No.1538ゆるりんこと佐野幹事長の挨拶。落ち着いて挨拶文を読み上げましたが、やがて途中で涙声に。
後ろの方では前幹事長の左近や実行委員長のライをはじめ何人かが涙をぬぐっています。こちらも胸がジーンとなりました。
今年の団運営は2回生のサブの三役がみな中途で退団するなど、本当に苦しい1年でした。
団員数の急減で団の財政が悪くなり合一会からの財政支援をすることにもなりました。
そのような逆境のなか、頑張って立派な定演を開催してくれた現役の皆さん、本当にどうもご苦労様でした。
団員数の少ない中、来年も元気で定演を開くべく頑張ってくださいね。
素晴らしい演奏会、どうもありがとう。
いよいよ第3ステージ、伊東先生の登場です。
ピアニストの真利枝先生もより一層素敵なドレスに替えての登場です。
第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 04:49 No.1523曲目は『混声合唱とピアノのための「かなでるからだ」』
作曲は第1ステージと同じ作曲家の森山至貴、作詞は みなづきみのり すなわち伊東先生ご自身。第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 04:58 No.1524実はこのステージ、かつてないほど動きの激しいものでして、伊東先生も大胆に指示を与えられたものと驚きました。
お伝えするには動画を使うしかないと思いました。とにかく写真では分かってもらうのが難しいと思います。
この写真と前の写真で、団員の向きを変えたというのは分かるでしょう。第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:07 No.1525ステージ上のオーダーを変えて、広がって歌っています。
特に3曲目「骨」という曲ですが歌詞が「『ロックンロール!』と骨が言う」で始まり何ともシュールな歌詞。
ロックンロールな烈しい曲でした。ちょっとこれまでにない凄さと演出でした。Re: 第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:13 No.1526写真を撮っている私自身がこのステージの展開について行けず、色んな決定的動きを写せませんでした。
例えばこの「骨」の曲では山場で突然ステージの照明が消えて、真利枝先生のみにスポットライトが当たっているという瞬間もありました。
つくづく動画でお伝え出来ないのが残念です。第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:24 No.1527とにかく、この凄いステージも大きな盛り上がりを残して無事終了しました。
烈しい手拍子や足ふみの音も交えての音響効果、POPステージ並みの激しいアクションと、とにかく感動的凄さでした。
会場に来られなかった方は本当に残念だったと思います。第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:37 No.1528アンコールの拍手に応えて、舞台に戻ってこられた伊東先生は例によってスピーチをされました。
ここで伊東先生は団員たちの頑張りを称えておられました。このようなことは今までなかったと思われます。
定演パンフでも伊東先生は 「練習で出会った学生の瞳の輝きは、私に大きな希望と意欲を与えてくれました」 と現役を称えれおられる。
私もこの凄い3ステージを歌い切った現役の頑張りは立派なものだったと思います。
わが団史上最少人数での定演にもかかわらず、その逆境を跳ね返した現役たちの努力に拍手したいと思います。よくやりました。第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:43 No.1529そして伊東先生は学生指揮者のきゃしーさんを呼び寄せて最後の指揮を任せるバトンタッチをされました。第61回定演写真─3ステ - 石田事務局長 2018/12/04(Tue) 05:48 No.1530ステージ最終を飾る学生指揮者によるエンディング曲の演奏です。
コサージュをつけた4回生たちは府大合唱団員としての最後のステージ上での演奏です。
皆さんご苦労様でした。
第2ステージの始まりです。題して“See you again someday.”
アメリカ、ウェストヴァージニア州に住む仲よし4人組。教会で讃美歌を歌いながらお祈りしています。
彼らは18歳になって、再開を誓って村を出てそれぞれの道を歩みます……
第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 05:29 No.1509植物学者になってドイツに行ったドミーは散歩中に立ち寄った花屋で綺麗なバラを見つけます。
そんなドミーに声をかけてきたのは花屋を営む女性でした……第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:01 No.1511フランスで郵便配達員として働くピーターにはどうしても気になる女性がいます。
閉じこもっている彼女に何とか振り向いてもらおうと今日も彼は奮闘しています……第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:03 No.1512彼女とうまくいったようです。第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:06 No.1513動物を愛するマシューは獣医となり、あらゆる動物を助けるために世界を回っています。
今回はケニアを訪れたようです。そこで大事なライオンが病気になって困っている女性と出会います。第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:08 No.1514マシューはライオンを助けて女性から感謝されます。そして彼はライオンと仲良くなりました。第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:11 No.1515ビッグになりたい一心で旅を続けるタックは石油でも掘り当てればいいと思ったのかアラビアに行きました。
そこの砂漠で行き倒れとなり、女性に援けられます。第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:13 No.1516そして仲良くなった女性、ライオンと一緒に村に帰った4人は再会を喜びます。Re: 第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:16 No.15173ステの物語終了、あとは例によって……第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:18 No.1518ステージ中央へ結集!第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:20 No.1519幕が閉まり始めますよ!第61回定演写真─2ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 06:22 No.1520幕が閉まり切るまで手を振ります
本日開催の京都府立大学合唱団、第61回定演の様子を写真にて報告いたします。
× × × × ×
会場の京都外大森田記念講堂です。
今日は12月とは言え、まだ紅葉も残っており、絶好の行楽日和でした。
会場の樹木も散り残った紅葉が美しいですね。
Re: 第61回定演写真──開演まで - 石田事務局長 2018/12/02(Sun) 20:57 No.1496会場入り口付近にある立て看板です。
ガラス窓に黄葉がきれいに映っていますね。Re: 第61回定演写真──開演まで - 石田事務局長 2018/12/02(Sun) 21:01 No.14971時半に開場したのでホールに入ると、ゆるりん幹事長とライ実行委員長が並んでお出迎えされていました。
後ろの銅像と同じような感じなのが面白いですね。Re: 第61回定演写真──開演まで - 石田事務局長 2018/12/02(Sun) 21:04 No.1498ロビーにある掲示板です。第61回定演写真─オープニング - 石田事務局長 2018/12/02(Sun) 21:16 No.1499いよいよ開演しました。まず最初は学歌。実は今年は定演史上で一番団員数が少なく30人です。
そのためかステージ配列も今までは右手からベース・テナー・アルト・ソプラノだったのが、写真のような配列になっています。
因みに今までで一番団員数が少なかった定演は第46回の33名でした。第61回定演写真─オープニング - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 04:25 No.1501学歌合唱も無事終わりました。指揮はきゃしー正指揮者でした。第61回定演写真─1ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 04:35 No.1502いよいよ第1ステージの始まりです。ピアニストはもちろん真利枝先生。第61回定演写真─1ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 04:54 No.1503混声合唱組曲『太陽と海と季節が』。作曲は森山至貴(ノリタカ 1982年-)、東大の博士課程を終えて早稲田大学専任講師の社会学者で作曲家、ピアニスト。
音楽作品は主に合唱曲。第22回朝日作曲賞受賞。主著に『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』(筑摩書房、2017)がある。第61回定演写真─1ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 05:10 No.1504作詩は高野民雄(1938年-)、早稲田大学文学部仏文専修卒。
1961年に博報堂入社後30年間TVCMの企画制作に従事。入社と同年に仲間と詩誌「×(バッテン)」を創刊。第61回定演写真─1ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 05:12 No.1505ステージ写真第61回定演写真─1ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 05:13 No.1506ステージ写真第61回定演写真─1ステ - 石田事務局長 2018/12/03(Mon) 05:16 No.15071ステージ終了。
おはようございます!学生正指揮者のきゃしーです!
ついに今日が定期演奏会ですね。この1年の集大成を是非ご自身の目でご覧ください。
今ホールに向かっている途中なのですが、偶然電車で出会った友人に演奏会のことを話すと、なんと来てくれるということでチケットを渡しました。定演当日だからこそ、「今日来てくれるのか〜」と、お客さんが来てくれる喜びを実感します。
最高の演奏をお届けできるよう、精一杯頑張ります!
こんばんは。
夜分遅くに失礼します。演奏会実行委員長のらいです!
明日は第61回定期演奏会当日となりました!☺
全力で歌い楽しむ団員達を是非ご覧ください🙌🙌
失礼いたします❗
こんばんは、夜分遅くに失礼致します。幹事長のゆるりんです。
私達が1年間練習や準備に励んできた定期演奏会がいよいよ明日となりました!
これを就寝前に読んでいる現役の皆さんは今すぐ明日の準備をして眠りなさい。明日、みんなに万全の状態で会えるのを楽しみしています
!1年間の集大成、楽しみましょう(`・ω・´)b
京都外国語大学 森田記念講堂にて、13:30開場14:00開演です。
是非お越しください!
今日はさらし こと晒 一気 の紹介です!
いっきじゃないよ、かずきだよ。
1.出身地 出身校とそのお国自慢
大阪府大阪市 清風高校出身
大阪城のすぐ近く ちょうどいい感じの都会
2.中、高の部活
中高ともに水泳部 中学までは空手も
3.合唱団に入った理由
ノリ
4.好きな音楽、ミュージシャン
JPOP GReeeeN、RADWIMPS、米津玄師、などなど
5.好きなたべもの
甘いもの、握り寿司、焼き肉(牛タン)
6.座右の銘
Without haste, but without rest.
定演に向けて一言!
定演はライオン頑張ります!あと音外さないように
以上、さらしの紹介でした!我らがベースを担っていく期待の新世代です。しかもローラース!
- Joyful Note -