なおゆき氏の定演評〔2st〕 投稿者:
石田事務局長 投稿日:2019/12/13(Fri) 06:42
No.1866
昨日から連載のこの企画、今日は第2ステージです。
× × × × ×
【2st POPステージ「若気至りて愛と夢」】
10分の休憩の間に団員たちは衣装に着替えます。私は荷物をまとめて、客席に向かいます。久しぶりに会う先輩や同回生と旧交を温めるもつかの間、「お待たせいたしました」と大久保さんのアナウンス。
第2stはたくろー君指揮のPOPst、「若気至りて愛と夢」です。このステージは、ひびき君の演出にも注目です。
なおゆき氏の定演評〔2st〕 -
石田事務局長 2019/12/13(Fri) 06:49
No.1867
〈あらすじ〉
まずは簡単にストーリーをまとめておきましょう。不況の時代、街はずれのぼろアパートで暮らす3組の住人の物語です。
1組目は夫婦と娘からなる移民の3人家族、母国から逃れてきており、日陰の生活を強いられているようです。
2組目は同性のカップル、時代が時代であるうえ(不況期、それに後に出てくるバンドがロックで大成しようとしていることから、私は勝手に1970年代半ばと思っています)、駆け落ちということもあり、こちらも肩身のせまい生活を余儀なくされています。
3組目はロックで一花咲かせようとするバンド、今はぼろアパートで共同生活しながらアルバイトの毎日です。
そんな「はみ出し者」の彼らを受け入れているのは心優しい家主です。しかし、奥さんを亡くしてからというものすっかり人が変わってしまい、ついに不況のあおりを受けてか、彼らを見捨ててアパートを取り壊すと言い出します(ということはこの家主は半ば自腹を切って彼らを受け入れていたんですね)。
突然行く先を失った彼らは悲嘆に暮れます。ただ当たり前の生活がしたいだけなのに、ただ当たり前の夢や理想を追いかけているだけなのに。どうして現実は自分たちに対して、かくも非情な仕打ちを受けさせるのか。けれども彼らは現実に屈することなく、自分たちの希望や理想に倚って生きようとします。
そしてそんな思いは、一度は非情な現実の前にアパートを、ひいては自分の夢を捨て去ろうとしていた家主の心に明かりをともします。社会の周縁で生きることを強いられた彼らの夢や理想は、そのまま家主の夢でもあり、ふたたび彼らはどうしようもない世界を愛して、生きていくことに決めます。最後はハッピーエンドでありながら、落ち着いた雰囲気で幕が下りるという珍しい終わり方でした。
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石田事務局長 2019/12/13(Fri) 07:02
No.1868
〈曲について〉
劇中歌は各場面に1曲ずつ、計6曲。すなわち1組目移民の場面のあとに「Que Sera, Sera」(ケ・セラセラ)、
2組目カップルのあとに「Stand by Me」、3組目バンドのあとに「We Will Rock You」(Queenの楽曲)、
彼らが絶望を嘆く場面で「I dreamed a dream」(映画『レ・ミゼラブル』)、家主が改心するところで「Y.M.C.A」、最後に「Seasons of Love」(ミュージカル『Rent』)、
つまり全部英語曲なわけで、去年に引き続き曲の難易度は高かったといえるでしょう。
まずは曲について。英語曲は特に発音とリズムにトラップがあり、発音の方はまだまだ日本語っぽさが残りましたが、リズムは問題なくクリアできていたと思います。
それから、「We Will Rock You」はアクセントにも留意できており、ノリの良さが客席までしっかり伝わってきていました。
また今回は、ハーモニーが例年にもましてきれいに鳴っていました。これはベースが土台でしっかり支えられていたこと、各パートが曲の強弱を意識できていたことによるだろうと思います。これは快挙と言って良いでしょう。
今回はソロが3か所ありましたが、それぞれ1回生が担当していました。3人とも非常に上手に歌えていたばかりか、曲の感情までもありありとこちらまで届いていました。
もともとのポテンシャルに加えて、相当に練習しただろうなと見えました。本当に素晴らしい演奏でした。
またピアノを務めていたのはSop.パートリーダーのうらしさん、1回生まーずさん(バンドメンバー役)、しみずさん(移民家族の娘役)でした。
特にまーずさんは2曲弾いていましたが、3人とも良く弾いていたと思います。それに、2曲目ではカップル役の1回生がダンスを披露していました。
2人ともキレのある動きで、ぴったり揃っていました。複雑な動きだったと思いますが、表情も笑顔で、とても劇の場面にマッチしていました。
なおゆき氏の定演評〔2st〕 -
石田事務局長 2019/12/13(Fri) 07:13
No.1869
〈たくろー副指揮者について〉
基本図形は前期に比べてとても良くなりました。また強弱も図形の大きさや両手を使うことで効果的に示すことができており、副指揮者として基本的な技術は概ねクリアできていたのでは、と感じています。
また指揮からも、それに彼が団員向けに配ったPOP曲歌詞カードからも、「どういう音楽が作りたいか」というヴィジョンが明確にできているという印象をもちました。
はじめに、どういう音楽を目指すかをはっきりさせ、それを突き詰めることは分かっていても難しいのです。その点で、彼が自分の演奏に積極的に向き合っていることは嬉しく感じます。
正指揮者に向けて、たくろーに最も期待したいのは「表現」をいかにつけるか、いろいろ言えることはありますが、これが一番だと思います。
まずは姿勢。今回は時々縮こまってしまうことがありましたが、これからは姿勢すらも曲調を伝えるために調節できるところでしょう。また、表情も重要で、自分が歌うならどういう表情を作るかということを曲調や詩に合わせて演じることが演奏上の一体感を生みます。
このように、「振る」ことはもちろん、それを越えた表現を指揮者として追及することで叙情的な芸術が可能になるのでは、と思います。
最後に。彼はどうやら純粋に「指揮を振ること」が好きな指揮者なのだろうと見えました。いったんそうなってしまえば、指揮の練習をしている時間、作りたい音楽を追究している時間はただ遊んでいるだけの一種の娯楽の時間となります。
そんなわけで、彼はきゃしーに勝るとも劣らない立派な指揮者になってくれるのでは、と私自身は楽しみにしています。すこしプレッシャーをかけておきました(笑)
なおゆき氏の定演評〔2st〕 -
石田事務局長 2019/12/13(Fri) 07:24
No.1870
〈演出について〉
POPst講評の最後に、演出の話をしておきましょう。このステージ全体の責任者はひびき君で、彼はJoint時にも他団ステージマネージャーと協力して合同st演出を手掛けていました。
そんな彼の手腕が今回もいたるところに発揮されていました。台本や照明、構成などたくさんの場面で感心するところがありましたが、ここでは次の2点に触れておきたいと思います。
まず1点目、例年よりも小道具が格段に減ったところです。
小道具が多くなればなるほど、それを作る時間が取られたり、暗転が長くなったり、とその分不都合の出るリスクが増えるわけですが、それを今回は最小限に抑えたと思います。
その最大の要因は「空間を示すことをやめた」点だと考えられます。
つまり、場面の転換を観客に示すのはすべてただ一つの小道具(テーブル、ソファー、焼肉弁当)と演者の衣装だけであり、あとはナレーションと台詞によってストーリーが進行します。
そして、後方のオーダーは全員黒の衣装に統一することで、前列の1回生が目立ちます。しかしそれでは、ただでさえステージの人数が少ないのに、舞台上が寂しくならないでしょうか。
それゆえ、各場面ともただ一つ置かれた小道具はすべて演者の中心に据えられ、物語の展開において象徴的な役割を果たします。また、演者の服装の色や小道具にはなるべく多くの色が用いられ、照明の変化も手伝って、視覚上の物足りなさを一切感じさせないよう配慮されています。
そして2点目は、3組の住人がそれぞれ自分たちの不遇を嘆く場面の台詞運びです。3組の住人たちが互いに交流することはありません。
しかし、彼らの嘆きがすべて同じ問題にあることを示すために、わざと同じ場面、同じ空間に一堂に会するかたちで登場させています。
観客はそれでも彼らが同じ空間を本当に共有している、と見まがうことはありません。それは、第一に舞台上から小道具が消されており、第二に彼らの台詞が通常の会話のやりとりでは考えられないほど間髪を入れずに発せられているからです。
こうして各部屋の住人ごとの場面は通時的に展開していたのに対し、3者がそろって出てくる場面は時間的な変化を無視して共時的に展開します。
リハーサルではじめて見たときに、この演出には驚かされました。本当によく考えたものだと思います。
また、今年も1回生はよく声が出ており、動きもはっきりしていたことに加え、台詞が聞き取りやすかったと思います。ついつい舞台上でも普通のスピードで話してしまいがちですが、そうならぬようゆっくりめを意識できていたと思います。また、観客の方を向いて台詞を言うのもきちんとクリアできており、こういったところはさすが毎年のPOPstのノウハウが活かされていると感じました。
Re: なおゆき氏の定演評〔2st〕 -
石田事務局長 2019/12/13(Fri) 07:31
No.1871
〈演出について〉の続き
そのうえで2つだけ、今後の改善点を述べておきたいと思います。1つは台本のプロットについて。もう1つはPOPstそのものについて、です。
まずは比較的小さな台本の話から。私が気になったのは「どうして家主は改心する気になったのだろう?」という点です。
あらすじでは分かりやすくまとめましたが、よく考えると、家主は夢だの理想だの愛だの、といったものの大切さは初めからよく分かっているのであり、「はみ出し者」の住人たちのアパートに受け入れられたのも、その家主の理解があったからではないでしょうか。
したがって、この物語のプロットで最も大事なのは家主が「愛と夢の大切さに気付く」のではなく、「失いかけていた愛と夢を取り戻す」という部分になってくると思います。
そうなったとき、家主にとって何かターニングポイントとなるような事件なり瞬間が必要だと感じます。しかし、家主は何もしていないのに再び住人たちの輪の中に迎えられ、大団円となります。
とどのつまり、登場人物たちは何の外的要因もなく、気持ちに折り合いをつけるというかたちで自己解決しており、あたかも「無から有を生み出す」がごとく物語は一気にクライマックスへ向かいます。
ステージそのものが例年にも増して素晴らしい内容であっただけに、こうしたプロットの不自然さがかえって気になりました。
それから2点目はPOPstのあり方そのものについて、これは改善点というよりも今後の展望に近いような話です。
最近、とみに合唱劇やアラカルトステージが増えてきており、伊東先生は「合唱物語」という新たな形態を開拓しようとされています。こうしたステージを見ていて思うのはPOPstももう少し合唱が主体になればなあ、というところです。
これまでのPOPstは程度の差こそあれ、歌が劇に従属しているかたちで、要するに歌よりも劇を見せる作りだったと思います。ステージを進行させるのは決定的に物語の筋書きであり、その筋書きに合わせるかたちで曲が演奏されてきました。
もちろんこの形態でも見ている私たちを大いに楽しませてくれるのですが、これが合唱団であるからには、曲自体にステージを進ませるような役割をもたせることができれば、もっと合唱団ならではの企画ステージを作ることができるのではないか、と思います。
たとえば、曲中のキーワードが劇のワードと連関する、とか曲そのものが登場人物の心情を左右するポイントになる、など。。
POPstは堅い合唱だけではない、一般層にも耳なじみのある曲を織り込んで視覚的にも楽しめるステージを、という趣旨で作られてきたのだと思いますが、今の形態からすこし発展させて「曲」主体にもっていくこともできるのでは?と感じました。あくまで一個人の感想です。
ともかくも第2stは2回生もさることながら、1回生の力と頑張りが存分に発揮されたステージでした。私も自分が譜めくりであることを忘れて、純粋な一観客として楽しませてもらいました。