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松代藩家老 望月家 廟所 |
藩政時代 桑原家の菩提寺・松代町の西念寺 松城城代 花井吉成の菩提寺である (長野市指定史跡)
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松代藩真田家の御家中分限帳である。家老矢澤但馬守・大熊靭負・望月主水・小山田 采女などの知行取りをはじめ、切米取り・扶持方。その他、寺社・番所役人・城女中・役者・駕籠・草履取り・職人に至る、名前・禄高・役職・地位などが詳細に書き上げている。
真田家が上田から松城(松代)に入封した元和8年から寛永10年までの寛永分限帳。
それに続く、慶安分限帳・明暦分限帳・寛文分限帳・享保分限帳など5冊である。
特筆すべきは、家老望月治部左衛門が朱筆で家臣の諸事について、加筆修正の書き入れがあることである。
後世に正確な委細を残そうとしたものと考えられる。
分限帳は竪帳で、表装は上質紙で重厚に仕立てられている。松代藩の江戸時代前期から中期の家臣団の構成が精細に記されている貴重な歴史史料である。
松代藩の分限帳として、田中誠三郎氏が発刊した「真田一族と家臣団その系譜をさぐる」が知られているが、桑原家分限帳と比較すると内容が異なっている。
田中誠三郎氏の寛永分限帳では、藩士総数147名。桑原家分限帳は、170名の藩士の名前が記され、断絶された家臣や石高の違いも確認できる。
明暦分限帳では「沼田より御供の侍衆」の人数やその他、家臣の名前や石高なども異なる。分限帳は、江戸時代後期になると横帳の質素な写しが多々作られた。
桑原家分限帳は、中世史料・藩主書状・大名家書状・佐久間象山書などと共に真田宝物館に寄託されている。
桑原家分限帳は、こうした史料的重要度から長野市教育委員会・文化財課によって解読され、その詳細は真田宝物館に保存されている。
桑原家の出自は、更級郡の国衆で村上氏、武田氏、松平忠輝、花井吉成に仕えたと伝う。
真田伊豆守に臣従した桑原市左衛門は、大坂夏の陣に出陣し武功を上げたこと真田家高名帳に見える。
寛保2年、千曲川前代未聞の大水害が発生し、松代藩の財政は逼迫した。この事態に桑原家に、更級郡内に給地を宛がった。これ以降、家老望月家の用人を務めると共に新田開発・水害普請・犀口上堰普請・武芸指南・学問教授など領地の復興や教育文化の普及に尽力した。
また、数千点の地方文書は、長野県立歴史館に寄託保存されている。
桑原家分限帳は、郷土史研究などに活用できる資料として、真田宝物館で閲覧できます。
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