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指揮者のひとりごと13
指揮者のひとりごと…振りの基本…その13
土田和彦さん(W64年卒)の文章です。

指揮者のひとりごと…振りの基本…その13
今までの繰り返しになるかもしれませんが、私の指揮者として前に立つ時の心構えと申しますか気持ちに添って書き連ねてみたいと思います。
 毎回毎回何度も同じ言葉の繰り返しで読みづらいとは思いますがお許しください。
 今まで自分が出来ているから〝指揮者は誰にでも出来る〟との想いを持って、事あるごとにそう言ってきました。
 でも、10年ほど前からその思いがちょっと違うのではないかと思い始めてきました。Free lanceとなるに至らざるを得なくなった主な原因がこの思いに纏わってそれが強くなったからです。
 というのも前言を翻すようですが、やはり〝指揮者〟という存在は誰よりも〝強い意志〟と、それとは相反するようですが、人としての〝繊細な感覚〟…〝叙情性〟とか〝感性〟という心に受けとめる人として持っている〝感性〟というものでしょうか?…を持って臨まねばならないと思われてきたのです。
 先にも申し上げましたように、指揮者は生涯〝学び続けなければならない〟存在として強い意志を持って切磋琢磨し続けていかねばなりません。少しでも怠れば自分の技術が後退するだけでなく変な癖が付いてしまい、それを直すのにもっと大変な時間と努力が必要になります。だから時間があれば基礎技術…振りの基礎その3掲載…を毎日連続して習練…修練…しなければなりません。
 そして何より大切なことは曲から溢れる情緒の総てを伝える事が出来るように細かい表現を工夫して…しかも独り善がりにならない技術を…身に着けていかねばなりません。
 ステージでは指先の一振り以外に伝える手段はないのですから、曲の持つ情緒に自分の心に湧き出ずる熱い想いを乗せて想いの総てを伝えられるよう豊かな表情を込めて表現したいものです。
 そのためには自分の周りに溢れる色々な豊かな情緒を感じ取る心…感性…がなければならないと強く思っています。だから事あるごとにあらゆる事象から発せられる情報を心豊かに繊細に感じ取る心を養っていかねばならないのではないでしょうか。この〝感性〟があるかないかが指揮者を任せられるか否かの分かれ目のような気がします。
 素晴らしい指揮者は曲に書かれた作曲家…編曲家…の想いを引き出し、自分の感性という絵の具でその上に素晴らしい彩色を施していくことが求められ、それに応えるように自分の感性を豊かに働かせていくことが大切となります。与えられた曲をしっかり分析すると共に書かれた曲想をどのように解釈し変化させていくか、それが指揮者に求められる音楽性であり芸術性だと思います。 
フリーとなった今、気持ちの上で余裕を持って今まで続けてきたこと…指揮者としての大切なことなど…を纏めてみようと思い立ったのです。と同時にこれからの時間…人生の最後に残された余裕の時間…をもう一度学び直したいという思いも湧き上がってきたのです。
 お陰様でこの春から積極的に学びの場を与えられて、再び広く音楽のこと、芸術のことに留まらずスポーツや日常生活のことなどあらゆる分野にわたって学びの場に身を置いて頑張って居ます。
user.png C69卒 藤山 time.png 2025/02/22(Sat) 10:25 No.697 [返信]
指揮者のひとりごと12
指揮者のひとりごと…振りの基本…その12
土田和彦さん(W64年卒)の文章です。

 前回は振りの基礎…本当の基礎の基礎…についてお話ししましたが、指揮をするに当たって一番大切なことは、何よりも自分の心の中にある音楽への情熱を如何に表現するかと言うことです。振りの基礎はそのために必要な日常の基本練習に他なりません。
 私は、私の心に溢れる音楽…合唱…に対する情熱・想いをどう表現すれば歌ってくださる合唱団の仲間に伝えられるか、どう振れば仲間にだけでなく聴いてくださる方々にも伝わるかということを常に考え練習を積み重ね、練り上げてきました。
 私はいつも自分の心の中に流れ溢れ出す音楽を団員諸氏がどう受けとめ共に表現しようと思って貰えるかを考え工夫を凝らして来ました。そして聴いてくださる方にも私の振りを見、演奏を聴いて音楽の中に込められた熱い想いに心揺り動かされ感じて頂ければと願ってきました。
 指揮の真髄は、心に溢れる音楽への情熱を合唱団のメンバーだけでなく聴いてくださる方々にも如何に伝えられるか、ステージ演奏に於いて演奏する音楽にどれほど多くの想いを込められるか、それをどれだけ受けとめて貰えるかにあると思います。
 私は常に合唱音楽を創り上げるときに心掛けてきたことは、共に歌う者も聴く者も音楽の心地よい響きの中に〝やさしさとあたたかさ〟を感じ取っていただきたいとの想いを込めて纏めるようにして来ました。
 それは私の創り上げる音楽そのものがこの地球上のあらゆる存在に対する祈りの心をもって歓び尊び感謝を伝えたいと思い続けてきたからです。その心を皆さんと共有したいとの思いで振り続けてきたつもりです。
 この地球のあらゆる自然の存在物、生きとし生けるもの達、動物も植物もそして鉱物も、命あるもの達も命を持たなくてもそこにしっかり存在しているもの達そのものへの畏敬の念でありすべての存在があらゆるものの存在を支え形作っていることへの感謝の心を表したかったのです。
 この私の気持ちは、ある意味宗教心に似たものかも知れません。一種の宗教的信仰の境地にあるようにも感じています。この世のありとあらゆるものの存在への感謝と畏敬の念、すべてのものを存在せしめているもの…ある種の偉大なる力…を信じる心、それは神の力であったり仏の導きであったり、私たち自身の中に湧き出す希求の想いであり、苦しみを乗り越える大きな力を感じる心であり歓びでもあります。
 この世のあらゆる存在物に包まれ受け入れられ支えられ、生かされている私たちの存在。そのことに心から感謝し歓びをする自己の存在。あらゆる苦しみの存在もそのあとに来る歓びの刻を楽しみ受け入れるため。そんな人生を楽しみ謳歌する気持ちで感謝の心を歌い上げたい。それは正に〝Durch Leiden Freude(デュルヒ ライデン フロイデ)ドイツ語〟であります。
 私はこのような心を込めて合唱音楽を創り歌い上げてきたことに誇りと歓びを持って勤しんできました。 何時もいつも祈りの気持ち、感謝の気持ちを持って振り続けてきたように思います。
 今まで振り続けて来ることが出来たのは、そんな気持ちを持ち続けて指揮という素晴らしい仕事に出逢えたことに感謝の心で満たされてきました。すべては合唱音楽に携われたお陰といえるでしょう。
user.png C69卒 藤山 time.png 2025/02/10(Mon) 13:01 No.688 [返信]
指揮者のひとりごと11
指揮者のひとりごと…振りの基本…その11
土田和彦さん(W64年卒)の文章です。

 前回では〝振りは基本に徹する〟という意味のことを少しお話ししましたが、今回もそのことについてのお話をもう少し続けてみたいと思います。
 ということで、〝振りの基本〟とはどのようなことをいうのか?について、これまで触れてきたことを纏めてみたいと思います。
 先ずは基本として、〝力を入れて振らない〟ということ。殆どの曲は3~5分間を降り続けねばなりません…長い曲になると10分…それ以上…を降り続けるので、力を入れて振ることは疲れるだけになるのですから好ましくありません。しかも演奏会と言うことになれば1ステージ数曲、3~4ステージを振ることになるのですから、一つの曲を振るのに一々力を入れていたのでは疲れてしまって最後のステージになると疲れて腕が痛んで振れなくなってしまいますよね。従って振りの基本として考慮しておかなければならないのは力を入れずに振り続けることが出来る技術を習得することが大切になります。
 また、指揮者は自分の振りの中で歌い手に情感たっぷりに表現するように伝えねばなりませんから一振りの中にすべての情感…情報…を込めて振らねばなりません。そこで言えるのが〝指揮者は半拍で勝負する〟ことになります。先に申しましたように指揮者は歌い手に半拍前に情感を込めて振ることになります。歌い手は指揮者の振りを見て半拍後に…ラグタイムを…感じて歌い始めるのですから、指揮者は歌い手よりこの半拍前の間にすべての情報を盛り込んだ振りに神経を集中しなければならないのです。
 更に、指揮者は自分の振りがどのように団員に伝わるかと言うことを意識して〝分かりやすい振り〟に徹しなければなりません。そのためには毎回振りが変わるようではいけません。ということは〝基本の振り〟の型をしっかり身に着けておかねばならないと言うことです。
 これも前回お話ししたように、両手で振る場合、基本は両手が同じ形で振られること、即ち左右ともシンメトリーの形を辿ると言うことです。あくまでも基本ですが左右がバラバラに動くのではなく、況してや両手が同じ方向に動くように振るのは、見た目にもあまり綺麗な振りではありませんので、やめておかれた方が良いと申し上げておきましょう。
 両手を、右も左も真ん中に鏡を置いたように、左右対称の動きが示されるように振りの基本練習をしっかりしておかねばなりません。
 そして基本中の基本としての振りの姿勢は、団員に相対してしっかり背筋…体幹…を伸ばし、下半身でしっかり上半身を支えて立ち、両手の肘は握りこぶし1~3個分離れた身体の横に固定し、肘から指先までは一本の棒のように真っ直ぐ伸びた状態のまま振るようにしましょう。
 振っている途中…打点で跳ね返すところ…などで決して手首ヤ指先をクネクネ曲げないことが肝要です。あくまでも手首は固定したまま一本の棒の途中にあって…関節の部分が動き回るようではいけません…指先まで真っ直ぐ伸びた状態のまま振ることを心掛けましょう。
 そうです、肘から指先…人差し指の先…までが指揮棒と考え、その指揮棒を振るのです。指揮棒が途中で折れてしまってブラブラしては曲に託した自分の想いを歌い手にしっかり指示することは出来ませんからね。
 ここで振りに関する基本の練習方法についてお話をしておきましょう。力を抜く練習については以前にお話ししたように通勤などで利用するバスや電車…地下鉄・JRなど…の車両に設置されている吊り革を利用する方法で簡単に出来るともうしあげました。今回はその練習で力を抜いて振れるようになったところから次の段階として、肘から指先まで一直線に伸びたまま振ることについて触れてみたいと思います。これも何度も繰り返して練習することで身に付いていきますので、是非試してみてくださいね。
 それでは身体の力を抜いてテーブルに向かい、右肘をテーブル面に置いて…掌は力を入れずに軽く握るようにして…その上で軽く上から振り下ろしましょう。テーブルの面まで振り下ろしたらそこでテーブル面を打った反動で元の位置まで跳ね上げるように戻しましょう。軽く力を抜いて…吊り革での練習の要領で…テーブル面を軽く叩く音がトントンと軽快に続いて出来るように練習を反復します。両手を同時に出来なくても片方ずつ交合に繰り返し練習してくださいね。
 パソコンなどの椅子で両肘置きが付いているようなものがあればそれを利用することで両手の練習を一度に出来ますので試してみてください。慣れてくれば三拍子や四拍子の振りの練習を取り入れて繰り返し練習をしてみてください。
 その際、指先を打つことが出来ませんので腕…真っ直ぐ伸びた棒になっていなければなりません…の途中が肘掛けに当たったら反動で跳ね上がるように心掛けて繰り返してください。
 では今回のお話はこの当たりで。
user.png C69卒 藤山 time.png 2025/02/07(Fri) 00:47 No.687 [返信]
指揮者のひとりごと10
土田和彦さん(W64年卒)の文章です。
指揮者のひとりごと…振りの基本…その10
 今回もう少しタイムラグについてのお話しを続けておきたいと思います。
 タイムラグについてはオーケストラやブラスバンドを振る場合より顕著に感じることが出来ます。それは音を出すという行為は私たち人間が歌う場合はそれほど準備に要する時間は必要ないので、指揮の振りを見て直ぐに声を出して歌うことが出来るのですが、楽器を用いて音を出すという行為は音を出すための準備から音に繋がるまでの間にそれなりの時間が必要になってきます。
 そのために指揮者は楽器奏者が楽器を持ちそれぞれの楽器を鳴らすために身構え、指揮者の振りを見ながら最初の音を出す行為を始めてから実際に音が出るまでにちょっとした空白の時間が出来るのです。そしてこの時間差…タイムラグ…を考えて音の出る点より前に降り始めるようにしなければなりませんし、指揮者はその時間を考えに入れて振り始めることが大切になります。
 オーケストラやブラスバンドを指揮する場合、特に管楽器奏者をメンバーとして振る場合はこの〝タイムラグ〟を意識して指揮をする必要があります。それは管楽器の性質上それぞれの楽器において音が出るまでにより多くの時間…ラグタイム…を要するからです。 管楽器は歌口から息を吹き入れてから管が振動して音が出るまでの時間が他の楽器より長く掛かるのです。だからこれら管楽器を要するオーケストラやブラスバンドで振る場合、歌い出しの打点…最初の音が出る点…までの時間をしっかり確保するように前振りが必要になります。
 従って指揮をする場合、楽器が音を出すまでの間の空白をしっかり感じその分を前振り…アウフタクト…として確保する必要があるのです。
 この振り下ろしから歌い出しの打点までの時間の空白を〝タイムラグ〟と言い、その時間そのもののことを〝ラグタイム〟と呼んでいます。ジャズではこのラグタイムを楽しみながら演奏するプレイヤーが多く輩出していますし、ジャズのバンドに有名なプレイヤー率いる誰々と彼の(サッチモ&His)〝ラグタイム バンド〟という名のセッションが多いのも頷けますね。
 さて、副題として…振りの基本…などと命名しておきながら振りについて殆ど触れてませんでしたね。大変失礼いたしました。そこで今回は振りについて触れておきたいと思います。
 〝タイムラグ〟の項でも指揮者は半拍前の振りを意識して〝半拍に命を懸ける〟と申し上げました。そして団員の歌い出しの半拍前の振りを情緒豊かに表現するようにということに神経を集中して繊細な情感を伝えるよう振りの工夫をすることが大切です。
 が、指揮法の基本として考えておかねばならないのは、いくら情感たっぷりにと言っても右手と左手を縦横無尽に自由気儘に感情の赴くまま振っても良いのか?と申しますと、それはそれで却って判りにくく情感を伝えられないことにもなってしまいます。
 それではどうすれば良いか?と言いますと、やはり常に〝基本に忠実に振る〟ということを心掛けるのが一番大切だと思います。と言うことで、今回は〝左右対称…シンメトリー…に同じ形…軌跡…で振るように心がける〟ことだと思っています。その振りがしっかり身に付いてから情緒溢れる振りをするための変化を考えることです。ここでもまずは基本を大切に振りの練習を繰り返すことだと思っています。
 そして更に基本と言えば、振るときの掌についても基本の基本としてしっかり頭に入れておくことは、f(フォルテ:強く)を表現するときは団員から見て掌の表…指揮をする側は掌を裏返した形…が見えるように振ること。逆にp(ピアノ:弱く)は掌の裏側を団員に向けて振ること。そして言うまでも無いことですが、fでは比較的大きく、pは小さく振るよう心掛けるのが振りの基本です。
 即ち、fを要求するときは指揮者の掌で〝もっと声を大きくこちらに飛ばして〟と声を引き出す…掌で導き出す…ようにふるということ、pを求めるときは掌を裏返して…掌で…もっと小さく腹筋でしっかり支えて少しの息で遠くまで飛ぶようにコントロールしてと、声を押さえるように振るということです。
 今更そんなことは…知っている…と思いがちですが、案外忘れて大振りをしてしまったり変な癖が付いてしまって団員からは「判りにくい」と言われてどこがどう判りにくいのか、どこをどう直せば良いのか考え倦ねてしまうと言ったことも多いのです。
 そんなことから私は、常に基本に立ち返ってこれらの〝振りの基本〟を毎日のルーチンとして練習を重ねることが大切だと思っています。
 今回は前回の〝タイムラグ〟ということから〝振りの基本〟として毎日のルーチンという形で練習を積み重ね、自分なりの癖を修正することが大切であるというようなお話をいたしました。読んでくださる皆さま…特にアマチュアの合唱団で振ってらっしゃる方々…に納得して、ご自分の日々の振りの練習に取り入れていただけたら大変幸せです。
user.png C69卒 藤山 time.png 2025/02/01(Sat) 10:45 No.686 [返信]
指揮者のひとりごと9
指揮者のひとりごと…振りの基本…その9 
(土田和彦さんの文章です)
 先にお知らせしたように、今回は〝タイムラグ〟ということについて、指揮に関していえば〝指揮者は半拍に命を懸ける〟と表現してきた内容に関わって書いてみたいと思います。
皆さんもそうかもしれませんが、私はずっと悩んできたことがあります。
 何を今更と言うことなのかもしれませんが、今まで多くの指揮法に関する教則本を読んできました。その中で指揮の振りに関しての図解がなされているのですが、殆どの教則本に書かれているのは振りの起点は上から一番下の位置に振り下ろすように「1(イチ)」として一番下の点から上に向かって「トオ」と上に持って行き、続いて上から「2(ニイ)」と振り下ろして最下点から振り上げるように「トオ」と・・・いうような図を見て振りの練習をされてきたのではないでしょうか。
 4拍子なら真上から真下に振り下ろし打点で折り返し左上に跳ね上げ、そこから下に振り下ろしながら打点で左横に振り上げる。更に真ん中下に向かって振り下ろしたあと右に跳ね上げ、下に振り下ろして跳ね上げて元の真ん中上の場所に戻る、というように振って行けば4拍子の振りが出来ると。
 3拍子なら中央の上から左下の打点を意識して振り下ろし左上に打ち上げ、そこから中央下の打点で右上に跳ね上げ、中央下の打点に向かって振り下ろし跳ね上げ、元の場所…中央上…に戻る、という風に図示された図を見ながら練習を重ねてこられたのではないでしょうか。
 多くの合唱指揮者が何の疑いもなくこれらの教則本を読んで指揮法を身に着けてこられたのではと思っています。私の若い頃に田中信昭さんの薫陶を得る機会に恵まれ、勇み込んで受講したのですが、そこでこっぴどい…失礼、大変素晴らしい…指摘を受け、私の思い違いに気付かされたことがありました。
 それは先に書いた教則本の図式で指示されている振りの基本をそのまま素直に受け取って、歌い手である合唱団員にも同じ形での拍取りを求めていたことから来る間違い…歌い出しのアインザッツが曖昧になってバラバラに歌い出してしまう…だったのです。
 即ち、指揮者としての拍打ちと合唱団員の拍の受け止め方には半拍のずれが生じていると言うことです。
 指揮者の大切な意思表示である曲の表現を伝えるべき振りの時間は、この指揮者の振りの瞬間と受け取り側である合唱団員の受けとめ側に半拍のズレがあるということだったのです。
 若い頃の私にはそれが理解されておらず、自分…指揮者…の振りと同じ時間帯で拍を感じて貰おうと必死になっていたために団員にとって歌い出しのアインザッツが判りにくくなってしまって…その前の準備として息を吸い込むタイミングが取れない…皆の歌い出しがバラバラになっていたのです。
 即ち指揮者の振りと同時に歌い出して貰おうと必死だった…そのため歌い出しが判りにくくバラバラに感じて歌っていた…のを指摘されたということです。
 指揮者は自分の振りの始まりから…最初の上から下の点までの間、即ち実際の歌い出しの半拍先に…常に半拍先行して表情を着けるべき情感を伝えるようにしなければならない、ということです。
 これが私の言う〝指揮者は半拍に命を懸ける〟と言うことであり、その半拍の時間差を〝タイムラグ〟ということなのです。
 即ち、指揮者はこの半拍のタイムラグを意識して振りをすることが大切だと言うことで、振りの基本として大切にするべきことは、最初上から下までの振り…半拍…は合唱団員への情感の総てを伝達するという重要な時間であり、団員にとっては指揮者の情感を受けとめる大切な時間であり、歌い始めへの短い準備の時間として呼吸を整えしっかり声が出せる体制を作るべき時間なのです。そして指揮者の指が下の点を打ち始めたところから声を出す…歌い始める…と言うことになるのです。このことを指揮者は理解した上で、常に〝半拍先の振り〟を構築していくことが大切です。
 最後に、私はこの半拍前に自分の心に溢れる想い…アガペなる〝愛の音楽〟…を伝えるべく色々な表現を以て団員に伝わるように振りを考え振り分けてきました。時には感情の表現を強く伝えたくて振りの基本から大きくズレて振る…振りが大きくなってしまう…ことも屡々でしたが、崩れた振りを直すのに何より大切にしてきたのは、前に申し上げました通学時の電車のつり革を利用した力を抜く振りの練習でした。これのお陰で常に基本に立ち返って自分の振りを修正することが出来たと、今でも想っています。
user.png C69卒 藤山 time.png 2025/01/19(Sun) 01:54 No.685 [返信]
指揮者のひとりごと8
明けましておめでとうございます。
途中からお読みになった方は投稿者の私が書いているものと思われるかも知れませんが、これは第4回、5回の定演指揮者、第9回、10回の客演指揮者の土田和彦さんが卒業来65年以上続けてこられた合唱指揮者を引退されての合唱指揮に対する熱い思いを書いておられるものです。SNSに投稿されいるのを了解を得て私がこのページに投稿しています。

指揮者のひとりごと…振りの基本…その8
 ここまで書いてきて思うことは、私の目指し創り上げようとしてきた〝合唱音楽(芸術)〟は、私の生き様としての目標〝いかに生きるか〟だったようにも思います。
 〝音楽は哲学である〟と言い、そこに溢れるやさしさとあたたかさを追求し、この世のあらゆる存在物の総てを愛し大切にする心を持ち続けること、そのすべてのものに助けられ生かされていることに感謝し敬い慈しむ、私の振る指先から溢れ出すのはそんな心情を表現する〝合唱芸術〟でありたいと思い続けてきたように思います。
 それは仏教の諦観…すべてのものを慈しみ受け入れる心・悟りの世界…であり、キリスト教の教えである神を信じ神を愛することにより神の愛…アガペ…に包まれる状況にも通じるものだとも言えます。そういう意味では〝音楽は宗教だ〟とも言えるのかもしれませんね。
 私はまた〝エロスを超えたアガペの世界を歌う〟という意味のことをよく言ってきました。例えば取り上げた曲そのもののテーマとしての男女の愛…エロス…をそのまま表現するのではなく、エロスの究極にある溢れる愛の心を昇華させた存在としてすべてのものに対する愛…この世に存在するあらゆるものに対して抱く感謝と悦びの感情…から来る受容の心を歌い上げたいと思い続けてきたと言えます。
 私はこの世の俗な…男女の間にある…人間の愛を超えた存在としての自然の存在そのままを受け入れ慈しみ大切にし愛おしむ心を余すことなく表現したいとの想いを抱きつつ今まで振り続けてきました。
 例え小さな存在としての石ころ、砂の一粒にも心に溢れる慈しみを注ぎ、その存在により人間の存在が支えられていることに感謝できる心を歌い上げたいと思ってきました。天から降る雨の一雫、それが集まって雨となり地上に降り注ぎ大地に沁み入り、伏流水が集まって流れとなって岩を穿ち細かい砂となって地球の水を浄化し大海原に返していく、命の元となる水の存在にも感謝し祈りとして表現したいとも思ってきました。
 そんな私の想いは日本の昔からの土着宗教である多神教…農耕民としての畏敬の念をなる土地から贈り物とする…によるものなのかもしれませんね。
 エロスの究極としての愛の存在〝アガペ〟なる愛を〝合唱芸術〟として表現し完成させたいと願い、〝祈りの音楽〟〝祈りの合唱〟を目指してきたと言っても遠からずだと思っています。
 先にも述べましたように〝エロスを超えたアガペ〟なる〝合唱芸術〟を目指して私の振りにその思想性を盛り込み溢れさせることで、聴いていただく方々への〝溢れる愛〟を表現しようと私の凡てを注ぎ込んで振り続けてきました。そんな私の姿を見て人々は私の振りには〝色気がある〟と言ってくださる方もおられました。
 そしてそんな私の振る合唱団で歌ってみたいと入団してくださる方も居られました。それは私の願う〝アガペの世界〟を表現したいとの想いにはまだ近づいていないのかとちょっと寂しくも感じましたが、その一歩手前の〝エロスの愛〟の表現としてでも何かを感じてもらえたとすれば、私の意図するところとは違っていましたが、それも私の表現し伝えようとしていることが違った形でしっかり伝わっているのだと思うことにしました。
 またまただらだらと書き殴ってしまいました。次回は〝タイムラグ〟ということについて、振りは〝半拍に命を懸ける〟ということと関わってお話ししたいと思っております。
user.png C69卒 藤山 time.png 2025/01/05(Sun) 22:04 No.678 [返信]
指揮者のひとりごと7
☆指揮者のひとりごと…振りの基本…その7
この前に私は組曲をよく取り上げてきたと申し上げました。組曲の持つ物語性に惹かれたり、テーマそのものに惹かれたりして是非振ってみたい団員の皆さんと心を合わせ声を合わせて取り組みたいと、私の心を駆り立てるものが感じられるからかもしれません。
 組曲は私の考える物語性を初めから設定してくれているので、その物語性を尊重しながら更に膨らませていけば色々な表現が出来ると思い、よく取り上げてきたのです。
 その中でも大中恩はダントツであり、ほぼすべてとは言えなくても粗方の組曲に挑戦してきたと思っています。彼の若いときの歌曲を合唱曲に自ら編曲のシリーズ…合唱曲集「秋の女よ」…は頻繁に取り上げています。それは私の追い求める音楽によるメッセージと相重なるところからであり大中恩自身が生涯掛けて伝え続けてきた〝平和への祈り〟そのものであったからです。
 私は合唱曲集「秋の女よ」からは「海の若者」と「秋の女よ」と続く曲の情感が好きで…というのもこの曲には言外に戦争に対するアンチの思いを共感するからなのでしょう…その想いを聞いてくださる方々にも私なりに伝えたくて何度も取り上げてきました。
 そしてその究極のステージとして同じく大中恩が…彼の死の直前と言ってもいい…晩年に作曲した交声曲「平和への祈り」に繋がったのです。この「平和への祈り」は大中恩の最後の伝言といっても良い「海の若者」「秋の女よ」から持ち続けてきた人々へのメッセージなのだと私は思っています。
 「海の若者」では戦いに挑んだ若者が帰らぬ人となって愛しい女…ヒト〝秋の女〟…の心を濡らし悲しみを湛えて…悲しみの中にも愛しいヒトへの温かく優しい想いを抱きながら…歩み去って行く姿を想像せずには居られません。〝秋の女〟が愛し戦に翻弄され消えていった彼を何時までも心の奥に抱きながらその残像を大切に持ち続け、生きてほしいと願うばかりです。そうです、私は「秋の女よ」を失恋の曲とは捕らえておらず、戦に消えた若者を思い続けるやさしい〝秋の女〟であってほしいと思うのです。
 そしてその思いを集大成して心静かに…声高でなくあたたかくやさしく…歌い納めるのが「平和への祈り」なのです。私はこの大中恩の最後のメッセージとでも言える「平和への祈り」を取り上げたとき、彼の心からの祈りを感じずには居られませんでした。そして合唱におけるハーモニーと独唱のメロディの優しく切ない一つ一つの曲の織りなす綾模様を祈りの心を塗り込める絵筆で余すところなく彩りたいと心から思いました。私の心は悲しみの中に流れるあたたかな涙とやさしさのぬくもりに包まれて揺蕩うばかりでした。そうしてここでは独唱曲も一つの合唱曲として…心の底からの〝平和への祈り〟として…歌い上げてきたつもりです。
 私は合唱におけるソロの役割を合唱の〝一パート〟と位置づけて合唱に流れるハーモニーとそれに絡むソロのメロディを一つの曲の流れとして掴み取り表現してきました。ソロの役割は…独立したメロディではなく合唱におけるハーモニー構成の一要素として…和声進行の重要な要素として表現しています。従ってソリストを選ぶとき、歌の上手いや声が良いといった要素よりもその曲のハーモニーをどのように彩ってくれるか、私の要求する和声進行と溢れる表現を素直に受けとめ彩ってくれるか、私の心に流れる情感をどこまで受けとめ表現してくれるかを大切にしてきました。中には勘違いしてソリストとして選ばれたことに…自分の技術が卓越しているからと…自信過剰になって指揮者の想いとはかけ離れた解釈で歌いたいと要求してくる者もありますが(x_x)
 アマチュア合唱団として大切なことは、私たちはプロではないのですから指揮者も含めて、全団員が一体となって素晴らしい曲の表現をしたいと同じ目標に向かって心を合わせ声を合わせて練習を重ね、素晴らしい表現を実現させることにあると思っています。
 そのためには指揮者の解釈…指揮者の心に流れる豊かな曲想…を信じ受け入れて心一つに芸術作品…合唱芸術…を創り上げるつもりで練習に練習を重ね努力することが大切だと想っています。指揮者は自分の曲に対する解釈…どれほど豊かな心情を溢れさせる事が出来るか…を身体いっぱい表現して、団員の心を動かしステージ芸術として完成させ、来てくださった方々の心を揺り動かせるように創り上げることだと思っています。
 要するに私は合唱というものを芸術として大切なもの…心の中に流れる音楽…を如何に熱く表現して人々に伝えていけるか。その想いが叶ったとき私の心の中にある〝合唱音楽〟は完成し〝合唱芸術〟になるのだと思って振り続けてきました。
 また私は、アマチュアであるが故に…アマチュアだからこそ…出来ることがあると思っています。それはこれでいいと言うまで練習を重ねていくことであり何度も何度も練習を積み重ねることによって指揮者の求める演奏スタイルがすべての団員に染み渡り、終局的には指揮者が振らなくても…ちょっとした眼の動き、指の動きだけで感じ取れる感性を磨くことで…素晴らしい表現が出来る…究極のステージでは〝指揮者は要らない〟と言ってきました…ようになると信じてきました。
 少々冗長になってしまいました。伝えたい思いが強くて同じことを何度も言葉を換え書き連ねてしまいました。読み辛い文になってしまいましたことをどうかお許しください。
user.png C69卒 藤山 time.png 2024/12/21(Sat) 01:01 No.669 [返信]
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