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指揮者のひとりごと8
明けましておめでとうございます。
途中からお読みになった方は投稿者の私が書いているものと思われるかも知れませんが、これは第4回、5回の定演指揮者、第9回、10回の客演指揮者の土田和彦さんが卒業来65年以上続けてこられた合唱指揮者を引退されての合唱指揮に対する熱い思いを書いておられるものです。SNSに投稿されいるのを了解を得て私がこのページに投稿しています。

指揮者のひとりごと…振りの基本…その8
 ここまで書いてきて思うことは、私の目指し創り上げようとしてきた〝合唱音楽(芸術)〟は、私の生き様としての目標〝いかに生きるか〟だったようにも思います。
 〝音楽は哲学である〟と言い、そこに溢れるやさしさとあたたかさを追求し、この世のあらゆる存在物の総てを愛し大切にする心を持ち続けること、そのすべてのものに助けられ生かされていることに感謝し敬い慈しむ、私の振る指先から溢れ出すのはそんな心情を表現する〝合唱芸術〟でありたいと思い続けてきたように思います。
 それは仏教の諦観…すべてのものを慈しみ受け入れる心・悟りの世界…であり、キリスト教の教えである神を信じ神を愛することにより神の愛…アガペ…に包まれる状況にも通じるものだとも言えます。そういう意味では〝音楽は宗教だ〟とも言えるのかもしれませんね。
 私はまた〝エロスを超えたアガペの世界を歌う〟という意味のことをよく言ってきました。例えば取り上げた曲そのもののテーマとしての男女の愛…エロス…をそのまま表現するのではなく、エロスの究極にある溢れる愛の心を昇華させた存在としてすべてのものに対する愛…この世に存在するあらゆるものに対して抱く感謝と悦びの感情…から来る受容の心を歌い上げたいと思い続けてきたと言えます。
 私はこの世の俗な…男女の間にある…人間の愛を超えた存在としての自然の存在そのままを受け入れ慈しみ大切にし愛おしむ心を余すことなく表現したいとの想いを抱きつつ今まで振り続けてきました。
 例え小さな存在としての石ころ、砂の一粒にも心に溢れる慈しみを注ぎ、その存在により人間の存在が支えられていることに感謝できる心を歌い上げたいと思ってきました。天から降る雨の一雫、それが集まって雨となり地上に降り注ぎ大地に沁み入り、伏流水が集まって流れとなって岩を穿ち細かい砂となって地球の水を浄化し大海原に返していく、命の元となる水の存在にも感謝し祈りとして表現したいとも思ってきました。
 そんな私の想いは日本の昔からの土着宗教である多神教…農耕民としての畏敬の念をなる土地から贈り物とする…によるものなのかもしれませんね。
 エロスの究極としての愛の存在〝アガペ〟なる愛を〝合唱芸術〟として表現し完成させたいと願い、〝祈りの音楽〟〝祈りの合唱〟を目指してきたと言っても遠からずだと思っています。
 先にも述べましたように〝エロスを超えたアガペ〟なる〝合唱芸術〟を目指して私の振りにその思想性を盛り込み溢れさせることで、聴いていただく方々への〝溢れる愛〟を表現しようと私の凡てを注ぎ込んで振り続けてきました。そんな私の姿を見て人々は私の振りには〝色気がある〟と言ってくださる方もおられました。
 そしてそんな私の振る合唱団で歌ってみたいと入団してくださる方も居られました。それは私の願う〝アガペの世界〟を表現したいとの想いにはまだ近づいていないのかとちょっと寂しくも感じましたが、その一歩手前の〝エロスの愛〟の表現としてでも何かを感じてもらえたとすれば、私の意図するところとは違っていましたが、それも私の表現し伝えようとしていることが違った形でしっかり伝わっているのだと思うことにしました。
 またまただらだらと書き殴ってしまいました。次回は〝タイムラグ〟ということについて、振りは〝半拍に命を懸ける〟ということと関わってお話ししたいと思っております。
user.png C69卒 藤山 time.png 2025/01/05(Sun) 22:04 No.678 [返信]
指揮者のひとりごと7
☆指揮者のひとりごと…振りの基本…その7
この前に私は組曲をよく取り上げてきたと申し上げました。組曲の持つ物語性に惹かれたり、テーマそのものに惹かれたりして是非振ってみたい団員の皆さんと心を合わせ声を合わせて取り組みたいと、私の心を駆り立てるものが感じられるからかもしれません。
 組曲は私の考える物語性を初めから設定してくれているので、その物語性を尊重しながら更に膨らませていけば色々な表現が出来ると思い、よく取り上げてきたのです。
 その中でも大中恩はダントツであり、ほぼすべてとは言えなくても粗方の組曲に挑戦してきたと思っています。彼の若いときの歌曲を合唱曲に自ら編曲のシリーズ…合唱曲集「秋の女よ」…は頻繁に取り上げています。それは私の追い求める音楽によるメッセージと相重なるところからであり大中恩自身が生涯掛けて伝え続けてきた〝平和への祈り〟そのものであったからです。
 私は合唱曲集「秋の女よ」からは「海の若者」と「秋の女よ」と続く曲の情感が好きで…というのもこの曲には言外に戦争に対するアンチの思いを共感するからなのでしょう…その想いを聞いてくださる方々にも私なりに伝えたくて何度も取り上げてきました。
 そしてその究極のステージとして同じく大中恩が…彼の死の直前と言ってもいい…晩年に作曲した交声曲「平和への祈り」に繋がったのです。この「平和への祈り」は大中恩の最後の伝言といっても良い「海の若者」「秋の女よ」から持ち続けてきた人々へのメッセージなのだと私は思っています。
 「海の若者」では戦いに挑んだ若者が帰らぬ人となって愛しい女…ヒト〝秋の女〟…の心を濡らし悲しみを湛えて…悲しみの中にも愛しいヒトへの温かく優しい想いを抱きながら…歩み去って行く姿を想像せずには居られません。〝秋の女〟が愛し戦に翻弄され消えていった彼を何時までも心の奥に抱きながらその残像を大切に持ち続け、生きてほしいと願うばかりです。そうです、私は「秋の女よ」を失恋の曲とは捕らえておらず、戦に消えた若者を思い続けるやさしい〝秋の女〟であってほしいと思うのです。
 そしてその思いを集大成して心静かに…声高でなくあたたかくやさしく…歌い納めるのが「平和への祈り」なのです。私はこの大中恩の最後のメッセージとでも言える「平和への祈り」を取り上げたとき、彼の心からの祈りを感じずには居られませんでした。そして合唱におけるハーモニーと独唱のメロディの優しく切ない一つ一つの曲の織りなす綾模様を祈りの心を塗り込める絵筆で余すところなく彩りたいと心から思いました。私の心は悲しみの中に流れるあたたかな涙とやさしさのぬくもりに包まれて揺蕩うばかりでした。そうしてここでは独唱曲も一つの合唱曲として…心の底からの〝平和への祈り〟として…歌い上げてきたつもりです。
 私は合唱におけるソロの役割を合唱の〝一パート〟と位置づけて合唱に流れるハーモニーとそれに絡むソロのメロディを一つの曲の流れとして掴み取り表現してきました。ソロの役割は…独立したメロディではなく合唱におけるハーモニー構成の一要素として…和声進行の重要な要素として表現しています。従ってソリストを選ぶとき、歌の上手いや声が良いといった要素よりもその曲のハーモニーをどのように彩ってくれるか、私の要求する和声進行と溢れる表現を素直に受けとめ彩ってくれるか、私の心に流れる情感をどこまで受けとめ表現してくれるかを大切にしてきました。中には勘違いしてソリストとして選ばれたことに…自分の技術が卓越しているからと…自信過剰になって指揮者の想いとはかけ離れた解釈で歌いたいと要求してくる者もありますが(x_x)
 アマチュア合唱団として大切なことは、私たちはプロではないのですから指揮者も含めて、全団員が一体となって素晴らしい曲の表現をしたいと同じ目標に向かって心を合わせ声を合わせて練習を重ね、素晴らしい表現を実現させることにあると思っています。
 そのためには指揮者の解釈…指揮者の心に流れる豊かな曲想…を信じ受け入れて心一つに芸術作品…合唱芸術…を創り上げるつもりで練習に練習を重ね努力することが大切だと想っています。指揮者は自分の曲に対する解釈…どれほど豊かな心情を溢れさせる事が出来るか…を身体いっぱい表現して、団員の心を動かしステージ芸術として完成させ、来てくださった方々の心を揺り動かせるように創り上げることだと思っています。
 要するに私は合唱というものを芸術として大切なもの…心の中に流れる音楽…を如何に熱く表現して人々に伝えていけるか。その想いが叶ったとき私の心の中にある〝合唱音楽〟は完成し〝合唱芸術〟になるのだと思って振り続けてきました。
 また私は、アマチュアであるが故に…アマチュアだからこそ…出来ることがあると思っています。それはこれでいいと言うまで練習を重ねていくことであり何度も何度も練習を積み重ねることによって指揮者の求める演奏スタイルがすべての団員に染み渡り、終局的には指揮者が振らなくても…ちょっとした眼の動き、指の動きだけで感じ取れる感性を磨くことで…素晴らしい表現が出来る…究極のステージでは〝指揮者は要らない〟と言ってきました…ようになると信じてきました。
 少々冗長になってしまいました。伝えたい思いが強くて同じことを何度も言葉を換え書き連ねてしまいました。読み辛い文になってしまいましたことをどうかお許しください。
user.png C69卒 藤山 time.png 2024/12/21(Sat) 01:01 No.669 [返信]
指揮者のひとりごと6
指揮者のひとりごと…振りの基本…その6
 私の振っていた合唱団の団員に「私に振ってほしい曲はどんなものが良い?」と聞くと、よく「組曲のようなものが良い」と言われます。
 それは私が〝音楽は哲学である〟ということを言ったりステージ構成では物語を設定して曲の順番を考えるといったことを訴えるので、皆さんもそれに慣らされたのか?それとも私がそういったものを好むのではないかといった憶測から提案してこられるのでしょう。確かに私はステージのあり方を一連の繋がりのある物語…情景の展開…を考え、それに従って曲の持つ雰囲気…曲想…を当て嵌め展開することで、歌う側も聴く側もひとつのステージ進行を物語の展開として理解してもらえるだろうし、曲の繋がりも違和感なく受けとめられると考えているからです。
 それから言うと組曲はそれ自体に曲の繋がりがあるしひとつの物語としての展開が設定されているので、ステージとして取り組みやすいので、私も色々な組曲を取り上げ演奏してきました。
 次によく言われるのが「叙情歌曲を振ってほしい」というようなことです。これも私の心情から〝やさしくあたたかな〟雰囲気が好きですし合唱団自体の雰囲気もそうあってほしいと願う気持ちが団員にも理解されて、知らない間にそんな合唱団を目指して皆が集まって来てくれたからかもしれません。
 そして私の振る曲の殆どが…厳しく深く追求する哲学的解釈を必要とするものも多いのですが…甘く優しい雰囲気の曲を、たっぷりと気持ちを込めて…時には情熱的に迫るようにHigh Tempoに仕上げたりもしますが…ゆったりと歌い上げるように纏め上げるからかもしれません。
 確かに、私は好んで大中 恩の曲をよく取り上げてきましたし、一番好きな作曲家である訳ですから必然彼の曲が多くなるのも当たり前のことなのです。彼の人間性、とっても素敵な紳士なのですが、子供の心を持ち続けているとってもお茶目で楽しくって人の心にスッと入り込んで、人の弱点やマイナスの部分も諧謔そのもので笑い飛ばしてくれる。そんな彼の人柄…そのものに滲み出ているので…に惚れ込んで好んで取り上げ歌い続けてきました。
 また高田三郎の組曲もよく取り上げステージに乗せてきました。これも〝音楽は哲学である〟の証なのでしょう。彼の曲は追求すればするほど更に深い意味合いをもって私の心に問いかけ人生の深淵を詳らかにするように問答を仕掛けてきます。従って何度取り上げても常に新鮮な気持ちで立ち向かえるのです。
 先に書きましたように、私はよくステージの曲順を考えるときひとつの物語を設定して、それに従ってステージを盛り上げ収束させていくように曲を散りばめていきます。
 あるときは人の一生を誕生から臨終までを、一人の人間がどのように成長し人生を謳歌しまた衰退し終えていったかに当て嵌め、あるときは自然の変化に従って時を刻む情景を当て嵌めたり、時には私の人生を振り返ったりと、その時の曲の持つ雰囲気により色々な物語を、生命の神秘や自然の驚異と畏敬、神の愛や仏の慈悲などそれぞれのテーマを想定して纏め上げてきました。
 これらの物語・テーマは、人が生きることへの応援歌として…声高に語るのではなくやさしく静かに心の中に流れ込み、あたたかなぬくもりを宿して…何時か知らない間に、ステージで歌われていたあの曲の優しく温かなメロディが、心の中に蘇ってきてずっとリフレインしながら心慰められ、もう一度頑張ろうという気持ちにさせてくれるといったことになればいいなとの願いを込めて歌い上げたいといつも思って振っています。
 こういった私の考えから先に言った〝音楽は哲学である〟ということを良く思うのです。音楽は直接的な働き方は出来ないかもしれませんが、いつか何の時だったか忘れたけれどずっと昔に聴いたあのメロディに癒やされ励まされたりした、といった効果はあると思っています。だから出来るだけやさしくあたたかくそして静かに人の心に流れ込むように…詩を語り、哲学書を開くように…歌い上げたい。それがいつかあるときに想い出されて人の力になればいいと密かに思っています。
user.png C69卒 藤山 time.png 2024/12/14(Sat) 01:06 No.666 [返信]
演奏会のご案内
人数の都合もあり愛唱歌を歌う会ではテノールにお邪魔させていただきました片山です。
その際にご一緒させていただきました藤山さまの連載が続くところ大変恐縮ではございますが、
私の所属する合唱団『葡萄の樹』の演奏会のご案内をさせてください。

第26回くりすますこんさーと
日時:12/14(土) 開場17:00 開演17:30
場所:京都市西文化会館ウェスティ

第1部は「もうすぐクリスマス!」と題し、クリスマスにちなんだ曲と、賛助出演のみやこキッズハーモニーの演奏をお届けします。

第2部・第3部はシューベルトの『美しき水車小屋の娘』を日本語詞、合唱編曲にてお送りします。
もともとは歌曲の傑作として名高い本作をみなづきみのりの訳詩、千原秀喜の編曲によってどう生まれ変わるか、
なかなか聴けない機会ですので、是非お楽しみいただければと存じます。

指揮は府大にはお馴染みの伊東恵司先生、ピアノは第1部を矢吹直美先生、第2・3部を松本望先生にてお送りします。

普段からお世話になっております合一会の皆様には特別価格にてチケットを申し受けますので、是非下記連絡先にご一報ください。
片山.in.ukyo@gmail.com(片山をアルファベットに変換ください)

その他詳細はチラシをご覧いただければ幸いです。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

[添付]: 2805528 bytes

user.png 史03卒 片山 time.png 2024/12/01(Sun) 00:02 No.658 [返信]
Re: 演奏会のご案内
片山さん
合唱団「葡萄の樹」
クリスマスコンサート
間もなくですネ。
頑張って下さい!
user_com.png C69卒 藤山 time.png 2024/12/11(Wed) 14:43 No.664
Re: 演奏会のご案内
藤山さま

ありがとうございます。
本日が最終練習となります。お越しいただいた方々に良い演奏が届けられるよう頑張ります!
user_com.png 史03卒 片山 time.png 2024/12/13(Fri) 12:31 No.665
土田さんの定演曲目
藤山さんが連載されている『指揮者のひとりごと』を書かれた土田さんについて、わが団定演での演奏経歴を紹介しておきましょう。今回は学生指揮者当時のものです。

1961年2回生の時は副指揮者で、第4回定演にて演奏曲目は下記の通り
【1ステ】『世界の民謡』島原の子守唄(日本民謡)・せわしき流れの河(ロシア民謡)・バイカル湖のほとり(ロシア民謡)・アンニーローリー(イギリス民謡)・霜の旦(ボヘミア民謡)・ブンガワン-ソロ(ジャワ民謡)、
【4ステ】組曲『私の動物園』〔作詩:阪田寛夫 作曲:大中恩〕てんとうむし・河童・マンモス・おのこおみな・からす・ひよっこ

1962年3回生の時は(正)指揮者で第5回定演にて演奏曲目は下記の通り
【1ステ】ケルビーニ『REQUIEM』Introitus・Graduale・Sanctus・Agnus Dei
【5ステ】『日本の歌』信濃の秋(旅のおもい・藁焚くけむり・河原の月)・赤い靴・子供と笛
【6ステ】組曲『私の願い』〔詩:高野喜久雄 曲:高田三郎〕いま わたしがほしいのは・雲雀にかわれ

画像は第4回・第5回の定演プログラム表紙です。

662

user.png C77年卒 石田 time.png 2024/12/05(Thu) 06:08 No.662 [返信]
Re: 土田さんの定演曲目
続きまして土田さんが卒団後に指揮された曲目を紹介いたします。1966年に客員指揮者として第9回定演にて下記の曲目を振っておられます。
【5(最終)ステ】組曲『花と花粉』〔作詩:伊藤海彦 作曲:大中恩〕風はいつでも・春がそこまで・白むくげ・空の牧場・風の旅

1967年にも客員指揮者として第10回定演にて下記を振っておられます。そしてこの年の幹事長は藤山さんでした。
【2ステ】『日本民謡集』〔編曲:清水脩〕ピリカピリカ・ソーラン節・牛追い唄・箱根八里
・最上川舟唄
【5(最終)ステ】混声合唱組曲『水のいのち』〔作詩:高野喜久雄 作曲:高田三郎〕雨・水たまり・川・海・海よ

画像は第9回及び第10回定演のプログラム表紙です。ちなみに日浦さんがわが団で客員指揮者となられたのは1969年第12回定演からです。

663

user_com.png C77年卒 石田 time.png 2024/12/11(Wed) 05:17 No.663
指揮者のひとりごと5
片山さん私の投稿でお気遣い頂きまして申し訳ありません。
当方の投稿でこのページを独占してしまわないように何日か毎に投稿している訳ですので、どうぞ間に会員の皆様の活発な投稿も期待しています。また「指揮者のひとりごと」につきましてもご意見、感想などをお書き頂ければと思います。
まだまだ続きます。よろしくお願い致します。

指揮者のひとりごと…振りの基本…その5
私は、常に〝指揮者は挑戦者であれ〟ということを大切にし、色々な事柄に対し興味を持ち知ろうとすることが大事だと思ってきました。そして選曲においても団員の皆さんの力量よりも少し高めの…難曲とまでは行かなくても少し苦労して譜読みをすることで皆の技術が高まるような…曲を設定し、且つ自分の持つ技術を少し超えたところに焦点を置き選ぶようにしてきました。
 それは、少しでも楽に譜読みが出来るようになって貰うことと同時にちょっと難しい部分を熟すことで達成感と同時に自分の持つ技術が向上するということを大切にしてきたからです。だから曲創りにおいても常に〝合唱音楽〟〝合唱芸術〟といったことを頭に置きその実現を目指してあらゆる方法を駆使して皆さまに伝え理解してもらいながら纏めてきました。
 そしてそのことと関連して私は、〝音楽は哲学である〟と説いてきました。特に〝合唱音楽〟はその素敵なメロディとハーモニー、時にはリズムによって詩と融合した音楽として私たちの心の中に素晴らしい世界を齎します。素敵な音の広がりと共に言葉の持つ力強い…時には繊細な…パワー…意味合い…を受けとめ深く考えつつその感動から受ける力によって自分の半生を振り返り、行く末・未来に向かって能力の総てを以て挑もうとする気力を得るのです。そこに〝音楽は哲学である〟という所以があると思っています。
 また私は、〝音楽は物理学である〟とも〝音楽は数学ある〟とも言って来ました。それは言うまでもなく音楽の音は空気を震わせて伝わる音波の原理を駆使することで響きのある歌声として創り上げることあり、まさしく〝倍音〟はこの音の仕組みを物理学として捕らえたものですし、数学的にも〝倍音〟の原理、純正音…純正調…として原音の1/2分割、1/3分割、1/4分割、1/5分割・・・といった数字の組み合わせによって解明されており、私たちはその数字の中にはまり込むことを目指して各パート内の声を一定の波長に合わせ、各パートを組み合わせて響かせることによって自分たちの発している声の上に…実際には出していない高い声である…〝倍音〟が聞こえてくるのです。私は何度もこの〝倍音〟を体現しましたし、一度〝倍音〟を体感すると虜になってしまいそこ…合唱活動…から抜け出せなくなってしまうのです。正に私はこうして今も〝合唱活動〟〝音楽活動〟から抜け出せていません。
 そして〝音楽は哲学である〟ということを私の〝音楽創り〟の信念として、合唱曲を創り上げるときには必ず詩を大切にし、その言葉の奥にある作詞者…詩人…や作曲家の心を読み解き、自分の人生観と抱き合わせで解釈し、深く彫り込みながら音の流れに色彩を与えるべく音の強弱だけでなく緩急を織りまぜながら心から溢れる情感を曲に乗せていくのが私の曲創りの方法です。
 私はまた、常々〝指揮者は孤独である〟ということを言ってきました。それは指揮者という立場は団員からの情報…本音…が届きにくいということです。前にも書きましたが常にアンテナを張って団員がどのような考えを持っているか、どんな思いで歌いに来ているのか、またどのような曲が歌いたいのかなどを知るように心がける必要があると思います。そしてその団員の思いと自分の想いを重ね合わせて練習のやり方を考えたり曲を選んだりしなければなりません。
 どのように持って行けば団員の歌いたい心を満たせるかを感知し練習方法として確立させ、そこに指揮者としての想いを注ぎ込むようにするための表現の方法を考えていく必要があります。それが団員の心と心を合わせることであり指揮者の考える曲想…曲の表情…を塗り込めていく作業であると思います。これが私の曲創りにおける基本的な考え方であり姿勢なのです。
 私はいつも…練習においてもステージにおいても…私の振る曲にはやさしさとあたたかさを盛り込みたいと思ってきました。特にステージでは、聴いていただく方々へのメッセージを載せてひとつの物語を設定し、曲順を考えていきます。次回はそのことについても触れてみたいと思っています。
user.png C69卒 藤山 time.png 2024/12/03(Tue) 12:34 No.661 [返信]
指揮者のひとりごと4
指揮者のひとりごと…振りの基本…その4
 前々回では日本の音楽教育についての個人的な一所見…大変大きく出ましたが…を書いてみましたが、合唱界における問題はそれだけではありません。
 以前にも触れましたが「演奏会がうまくいったとき、その成果は団員全員の努力の賜であり決して指揮者ひとりの成果ではない」という趣旨のことを書いたと思います。言い換えれば、私は常々〝指揮者は謙虚でなければならない〟と思っています。
 指揮者が傲慢になったり偉そうに上から目線で教えてやっているといった態度をとることは以ての外です。そんな指揮者の態度が感じられれば団員は面白くないだけでなく指揮者を信頼できなくなり、やがて離れていきます。
 また、周りからの色々な声を敏感にキャッチしその中から自分の指揮の技術に関しての批判を素直に受けとめ改善するところはどこかをしっかり掴み取り見直し、初心に戻って振りの練習に励むことです。特に身内からのヨイショ…好意的なおべんちゃらは慢心の元…は聞き流して厳しい批評ほど大切にしなければならないと思っています。そこにこそ自分の弱点・技術的未熟が指摘されていると有り難く受けとめ反省を込めて技術を磨いていかねばならないのです。
今日は少々耳の痛い話になる方も居られると思いますが、それらのことについて関連するところを触れてみたいと思います。
 私たちは学校で専攻してきた学問についてその総てを習得しプロとしての知識や技術を完成し身に付けて…卒業という切符を手に入れて…きたわけではありません。しかし中には卒業を持ってすべての知識や技術を修めプロとして活躍できると思い込んでいる人も居られるように思います。でも多くの場合は学び取った筈の知識・技術のある部分においては全くの素人と同じかそれ以下である場合もあるのではないでしょうか。
 例えば音楽大学…院…のピアノ専攻(科)卒業ですべての人がプロの演奏家として成功しているわけではありません。寧ろ演奏会で素晴らしい演奏が出来るのはその内の数えるほどでしかないのです。また声楽科を出てもプロの声楽家として人々に感動を与える演奏が出来るのもまたほんの数人なのです。声楽科を出ただけで所属する合唱団でソロを歌っても指揮者の求めるような繊細な演奏が出来るとは限りません。曲の終りのdecrescendoが持たずに途中で大きいままブツリと切ってしまうようなプロ…本当に声楽コースを出たの?…とは思えないような人もいますし、況してやご自分の専攻でないものに関しては基礎…基本的な技術…も身についてない場合が殆どです。
 特に指揮の場合は大学などに指揮科専攻といったコースが設置されているところは少なく、殆どのプロの指揮者は学生時代または卒業してから指揮に興味を持って個人的に専攻…専門家に付いて猛勉強…して獲得される場合が多いのです。
 また、特に巷の合唱団…街のアマチュア合唱団の場合は尚更…では、正式に指揮法を…独学にしろ先生に付いてにしろ…深く学んだ経験のある指揮者は少ないのではないでしょうか?・・・小学校や中学校のPTAコーラスやそれが元となって作られた女声合唱団の場合は特にメンバーの中から少し楽譜が読めるとかちょっと人より歌がうまい、音楽の勉強をしてきたというだけで前に推されて立たざるを得ないといった形で已むなく指揮を執っている方も多いのでは?・・・にも拘わらず、ある意味私たちの周りにもちょっと齧っただけの知識や技術でもって自分の知識・技術は完璧であると…無謀なプロ意識で上から目線の…過大な自信を持って人の前に立つ人物も居られるわけですから、幾つになってもしっかり学ぶことは大切だと思います。人それぞれではありますが・・・。
 私は、そう意味でも指揮者とは一生学びの姿勢を怠ってはならないと思っていますし常に謙虚でなければならないとも思っています。況して慢心することは絶対に避けなければならないと強く思っています。
 そして途中で迷ったとき、団員からよく解らないと言った言葉が出たとき、私が学生時代に学び取った初心に戻って指揮の基礎・振りの基本を何度も何度も繰り返し学び直すことが大切だとの認識を持ってやってきました。またあらゆる機会を通じて指揮法に関する勉強が出来る場を求めて、自腹を切ることを躊躇せず…金銭的にも時間的にも…学ぶことに貪欲でなければならないとも思っています。
 指揮者はまた自分に〝過分な自信を持ったとき、それは堕落の始まりであり指揮者としては失格である〟と思っています。もしそうなったら、その時点から指揮者としての資質は地に落ち、所属する合唱団は衰退・消滅に向かってなだれ落ちる運命を背負うことになってしまうとも思っています。だから指揮者の資質が最も大切だと常に自分に言い聞かせ、技術だけでなく情緒を…繊細な感情の機微・万象の有り様を繊細に感じ取る心を豊かに…学ぶことに貪欲でなければならないとも。
 私のこのような思いは今の時代には受け入れられないものなのでしょうか?
user.png C69卒 藤山 time.png 2024/11/29(Fri) 01:12 No.656 [返信]
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