指揮者のひとりごと6
指揮者のひとりごと…振りの基本…その6
私の振っていた合唱団の団員に「私に振ってほしい曲はどんなものが良い?」と聞くと、よく「組曲のようなものが良い」と言われます。
それは私が〝音楽は哲学である〟ということを言ったりステージ構成では物語を設定して曲の順番を考えるといったことを訴えるので、皆さんもそれに慣らされたのか?それとも私がそういったものを好むのではないかといった憶測から提案してこられるのでしょう。確かに私はステージのあり方を一連の繋がりのある物語…情景の展開…を考え、それに従って曲の持つ雰囲気…曲想…を当て嵌め展開することで、歌う側も聴く側もひとつのステージ進行を物語の展開として理解してもらえるだろうし、曲の繋がりも違和感なく受けとめられると考えているからです。
それから言うと組曲はそれ自体に曲の繋がりがあるしひとつの物語としての展開が設定されているので、ステージとして取り組みやすいので、私も色々な組曲を取り上げ演奏してきました。
次によく言われるのが「叙情歌曲を振ってほしい」というようなことです。これも私の心情から〝やさしくあたたかな〟雰囲気が好きですし合唱団自体の雰囲気もそうあってほしいと願う気持ちが団員にも理解されて、知らない間にそんな合唱団を目指して皆が集まって来てくれたからかもしれません。
そして私の振る曲の殆どが…厳しく深く追求する哲学的解釈を必要とするものも多いのですが…甘く優しい雰囲気の曲を、たっぷりと気持ちを込めて…時には情熱的に迫るようにHigh Tempoに仕上げたりもしますが…ゆったりと歌い上げるように纏め上げるからかもしれません。
確かに、私は好んで大中 恩の曲をよく取り上げてきましたし、一番好きな作曲家である訳ですから必然彼の曲が多くなるのも当たり前のことなのです。彼の人間性、とっても素敵な紳士なのですが、子供の心を持ち続けているとってもお茶目で楽しくって人の心にスッと入り込んで、人の弱点やマイナスの部分も諧謔そのもので笑い飛ばしてくれる。そんな彼の人柄…そのものに滲み出ているので…に惚れ込んで好んで取り上げ歌い続けてきました。
また高田三郎の組曲もよく取り上げステージに乗せてきました。これも〝音楽は哲学である〟の証なのでしょう。彼の曲は追求すればするほど更に深い意味合いをもって私の心に問いかけ人生の深淵を詳らかにするように問答を仕掛けてきます。従って何度取り上げても常に新鮮な気持ちで立ち向かえるのです。
先に書きましたように、私はよくステージの曲順を考えるときひとつの物語を設定して、それに従ってステージを盛り上げ収束させていくように曲を散りばめていきます。
あるときは人の一生を誕生から臨終までを、一人の人間がどのように成長し人生を謳歌しまた衰退し終えていったかに当て嵌め、あるときは自然の変化に従って時を刻む情景を当て嵌めたり、時には私の人生を振り返ったりと、その時の曲の持つ雰囲気により色々な物語を、生命の神秘や自然の驚異と畏敬、神の愛や仏の慈悲などそれぞれのテーマを想定して纏め上げてきました。
これらの物語・テーマは、人が生きることへの応援歌として…声高に語るのではなくやさしく静かに心の中に流れ込み、あたたかなぬくもりを宿して…何時か知らない間に、ステージで歌われていたあの曲の優しく温かなメロディが、心の中に蘇ってきてずっとリフレインしながら心慰められ、もう一度頑張ろうという気持ちにさせてくれるといったことになればいいなとの願いを込めて歌い上げたいといつも思って振っています。
こういった私の考えから先に言った〝音楽は哲学である〟ということを良く思うのです。音楽は直接的な働き方は出来ないかもしれませんが、いつか何の時だったか忘れたけれどずっと昔に聴いたあのメロディに癒やされ励まされたりした、といった効果はあると思っています。だから出来るだけやさしくあたたかくそして静かに人の心に流れ込むように…詩を語り、哲学書を開くように…歌い上げたい。それがいつかあるときに想い出されて人の力になればいいと密かに思っています。
私の振っていた合唱団の団員に「私に振ってほしい曲はどんなものが良い?」と聞くと、よく「組曲のようなものが良い」と言われます。
それは私が〝音楽は哲学である〟ということを言ったりステージ構成では物語を設定して曲の順番を考えるといったことを訴えるので、皆さんもそれに慣らされたのか?それとも私がそういったものを好むのではないかといった憶測から提案してこられるのでしょう。確かに私はステージのあり方を一連の繋がりのある物語…情景の展開…を考え、それに従って曲の持つ雰囲気…曲想…を当て嵌め展開することで、歌う側も聴く側もひとつのステージ進行を物語の展開として理解してもらえるだろうし、曲の繋がりも違和感なく受けとめられると考えているからです。
それから言うと組曲はそれ自体に曲の繋がりがあるしひとつの物語としての展開が設定されているので、ステージとして取り組みやすいので、私も色々な組曲を取り上げ演奏してきました。
次によく言われるのが「叙情歌曲を振ってほしい」というようなことです。これも私の心情から〝やさしくあたたかな〟雰囲気が好きですし合唱団自体の雰囲気もそうあってほしいと願う気持ちが団員にも理解されて、知らない間にそんな合唱団を目指して皆が集まって来てくれたからかもしれません。
そして私の振る曲の殆どが…厳しく深く追求する哲学的解釈を必要とするものも多いのですが…甘く優しい雰囲気の曲を、たっぷりと気持ちを込めて…時には情熱的に迫るようにHigh Tempoに仕上げたりもしますが…ゆったりと歌い上げるように纏め上げるからかもしれません。
確かに、私は好んで大中 恩の曲をよく取り上げてきましたし、一番好きな作曲家である訳ですから必然彼の曲が多くなるのも当たり前のことなのです。彼の人間性、とっても素敵な紳士なのですが、子供の心を持ち続けているとってもお茶目で楽しくって人の心にスッと入り込んで、人の弱点やマイナスの部分も諧謔そのもので笑い飛ばしてくれる。そんな彼の人柄…そのものに滲み出ているので…に惚れ込んで好んで取り上げ歌い続けてきました。
また高田三郎の組曲もよく取り上げステージに乗せてきました。これも〝音楽は哲学である〟の証なのでしょう。彼の曲は追求すればするほど更に深い意味合いをもって私の心に問いかけ人生の深淵を詳らかにするように問答を仕掛けてきます。従って何度取り上げても常に新鮮な気持ちで立ち向かえるのです。
先に書きましたように、私はよくステージの曲順を考えるときひとつの物語を設定して、それに従ってステージを盛り上げ収束させていくように曲を散りばめていきます。
あるときは人の一生を誕生から臨終までを、一人の人間がどのように成長し人生を謳歌しまた衰退し終えていったかに当て嵌め、あるときは自然の変化に従って時を刻む情景を当て嵌めたり、時には私の人生を振り返ったりと、その時の曲の持つ雰囲気により色々な物語を、生命の神秘や自然の驚異と畏敬、神の愛や仏の慈悲などそれぞれのテーマを想定して纏め上げてきました。
これらの物語・テーマは、人が生きることへの応援歌として…声高に語るのではなくやさしく静かに心の中に流れ込み、あたたかなぬくもりを宿して…何時か知らない間に、ステージで歌われていたあの曲の優しく温かなメロディが、心の中に蘇ってきてずっとリフレインしながら心慰められ、もう一度頑張ろうという気持ちにさせてくれるといったことになればいいなとの願いを込めて歌い上げたいといつも思って振っています。
こういった私の考えから先に言った〝音楽は哲学である〟ということを良く思うのです。音楽は直接的な働き方は出来ないかもしれませんが、いつか何の時だったか忘れたけれどずっと昔に聴いたあのメロディに癒やされ励まされたりした、といった効果はあると思っています。だから出来るだけやさしくあたたかくそして静かに人の心に流れ込むように…詩を語り、哲学書を開くように…歌い上げたい。それがいつかあるときに想い出されて人の力になればいいと密かに思っています。
演奏会のご案内
人数の都合もあり愛唱歌を歌う会ではテノールにお邪魔させていただきました片山です。
その際にご一緒させていただきました藤山さまの連載が続くところ大変恐縮ではございますが、
私の所属する合唱団『葡萄の樹』の演奏会のご案内をさせてください。
第26回くりすますこんさーと
日時:12/14(土) 開場17:00 開演17:30
場所:京都市西文化会館ウェスティ
第1部は「もうすぐクリスマス!」と題し、クリスマスにちなんだ曲と、賛助出演のみやこキッズハーモニーの演奏をお届けします。
第2部・第3部はシューベルトの『美しき水車小屋の娘』を日本語詞、合唱編曲にてお送りします。
もともとは歌曲の傑作として名高い本作をみなづきみのりの訳詩、千原秀喜の編曲によってどう生まれ変わるか、
なかなか聴けない機会ですので、是非お楽しみいただければと存じます。
指揮は府大にはお馴染みの伊東恵司先生、ピアノは第1部を矢吹直美先生、第2・3部を松本望先生にてお送りします。
普段からお世話になっております合一会の皆様には特別価格にてチケットを申し受けますので、是非下記連絡先にご一報ください。
片山.in.ukyo@gmail.com(片山をアルファベットに変換ください)
その他詳細はチラシをご覧いただければ幸いです。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
その際にご一緒させていただきました藤山さまの連載が続くところ大変恐縮ではございますが、
私の所属する合唱団『葡萄の樹』の演奏会のご案内をさせてください。
第26回くりすますこんさーと
日時:12/14(土) 開場17:00 開演17:30
場所:京都市西文化会館ウェスティ
第1部は「もうすぐクリスマス!」と題し、クリスマスにちなんだ曲と、賛助出演のみやこキッズハーモニーの演奏をお届けします。
第2部・第3部はシューベルトの『美しき水車小屋の娘』を日本語詞、合唱編曲にてお送りします。
もともとは歌曲の傑作として名高い本作をみなづきみのりの訳詩、千原秀喜の編曲によってどう生まれ変わるか、
なかなか聴けない機会ですので、是非お楽しみいただければと存じます。
指揮は府大にはお馴染みの伊東恵司先生、ピアノは第1部を矢吹直美先生、第2・3部を松本望先生にてお送りします。
普段からお世話になっております合一会の皆様には特別価格にてチケットを申し受けますので、是非下記連絡先にご一報ください。
片山.in.ukyo@gmail.com(片山をアルファベットに変換ください)
その他詳細はチラシをご覧いただければ幸いです。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
[添付]: 2805528 bytes
Re: 演奏会のご案内
片山さん
合唱団「葡萄の樹」
クリスマスコンサート
間もなくですネ。
頑張って下さい!
合唱団「葡萄の樹」
クリスマスコンサート
間もなくですネ。
頑張って下さい!
Re: 演奏会のご案内
史03卒 片山
2024/12/13(Fri) 12:31 No.665
藤山さま
ありがとうございます。
本日が最終練習となります。お越しいただいた方々に良い演奏が届けられるよう頑張ります!
ありがとうございます。
本日が最終練習となります。お越しいただいた方々に良い演奏が届けられるよう頑張ります!


土田さんの定演曲目
藤山さんが連載されている『指揮者のひとりごと』を書かれた土田さんについて、わが団定演での演奏経歴を紹介しておきましょう。今回は学生指揮者当時のものです。
1961年2回生の時は副指揮者で、第4回定演にて演奏曲目は下記の通り
【1ステ】『世界の民謡』島原の子守唄(日本民謡)・せわしき流れの河(ロシア民謡)・バイカル湖のほとり(ロシア民謡)・アンニーローリー(イギリス民謡)・霜の旦(ボヘミア民謡)・ブンガワン-ソロ(ジャワ民謡)、
【4ステ】組曲『私の動物園』〔作詩:阪田寛夫 作曲:大中恩〕てんとうむし・河童・マンモス・おのこおみな・からす・ひよっこ
1962年3回生の時は(正)指揮者で第5回定演にて演奏曲目は下記の通り
【1ステ】ケルビーニ『REQUIEM』Introitus・Graduale・Sanctus・Agnus Dei
【5ステ】『日本の歌』信濃の秋(旅のおもい・藁焚くけむり・河原の月)・赤い靴・子供と笛
【6ステ】組曲『私の願い』〔詩:高野喜久雄 曲:高田三郎〕いま わたしがほしいのは・雲雀にかわれ
画像は第4回・第5回の定演プログラム表紙です。
1961年2回生の時は副指揮者で、第4回定演にて演奏曲目は下記の通り
【1ステ】『世界の民謡』島原の子守唄(日本民謡)・せわしき流れの河(ロシア民謡)・バイカル湖のほとり(ロシア民謡)・アンニーローリー(イギリス民謡)・霜の旦(ボヘミア民謡)・ブンガワン-ソロ(ジャワ民謡)、
【4ステ】組曲『私の動物園』〔作詩:阪田寛夫 作曲:大中恩〕てんとうむし・河童・マンモス・おのこおみな・からす・ひよっこ
1962年3回生の時は(正)指揮者で第5回定演にて演奏曲目は下記の通り
【1ステ】ケルビーニ『REQUIEM』Introitus・Graduale・Sanctus・Agnus Dei
【5ステ】『日本の歌』信濃の秋(旅のおもい・藁焚くけむり・河原の月)・赤い靴・子供と笛
【6ステ】組曲『私の願い』〔詩:高野喜久雄 曲:高田三郎〕いま わたしがほしいのは・雲雀にかわれ
画像は第4回・第5回の定演プログラム表紙です。
Re: 土田さんの定演曲目
C77年卒 石田
2024/12/11(Wed) 05:17 No.663
続きまして土田さんが卒団後に指揮された曲目を紹介いたします。1966年に客員指揮者として第9回定演にて下記の曲目を振っておられます。
【5(最終)ステ】組曲『花と花粉』〔作詩:伊藤海彦 作曲:大中恩〕風はいつでも・春がそこまで・白むくげ・空の牧場・風の旅
1967年にも客員指揮者として第10回定演にて下記を振っておられます。そしてこの年の幹事長は藤山さんでした。
【2ステ】『日本民謡集』〔編曲:清水脩〕ピリカピリカ・ソーラン節・牛追い唄・箱根八里
・最上川舟唄
【5(最終)ステ】混声合唱組曲『水のいのち』〔作詩:高野喜久雄 作曲:高田三郎〕雨・水たまり・川・海・海よ
画像は第9回及び第10回定演のプログラム表紙です。ちなみに日浦さんがわが団で客員指揮者となられたのは1969年第12回定演からです。
【5(最終)ステ】組曲『花と花粉』〔作詩:伊藤海彦 作曲:大中恩〕風はいつでも・春がそこまで・白むくげ・空の牧場・風の旅
1967年にも客員指揮者として第10回定演にて下記を振っておられます。そしてこの年の幹事長は藤山さんでした。
【2ステ】『日本民謡集』〔編曲:清水脩〕ピリカピリカ・ソーラン節・牛追い唄・箱根八里
・最上川舟唄
【5(最終)ステ】混声合唱組曲『水のいのち』〔作詩:高野喜久雄 作曲:高田三郎〕雨・水たまり・川・海・海よ
画像は第9回及び第10回定演のプログラム表紙です。ちなみに日浦さんがわが団で客員指揮者となられたのは1969年第12回定演からです。


指揮者のひとりごと5
片山さん私の投稿でお気遣い頂きまして申し訳ありません。
当方の投稿でこのページを独占してしまわないように何日か毎に投稿している訳ですので、どうぞ間に会員の皆様の活発な投稿も期待しています。また「指揮者のひとりごと」につきましてもご意見、感想などをお書き頂ければと思います。
まだまだ続きます。よろしくお願い致します。
指揮者のひとりごと…振りの基本…その5
私は、常に〝指揮者は挑戦者であれ〟ということを大切にし、色々な事柄に対し興味を持ち知ろうとすることが大事だと思ってきました。そして選曲においても団員の皆さんの力量よりも少し高めの…難曲とまでは行かなくても少し苦労して譜読みをすることで皆の技術が高まるような…曲を設定し、且つ自分の持つ技術を少し超えたところに焦点を置き選ぶようにしてきました。
それは、少しでも楽に譜読みが出来るようになって貰うことと同時にちょっと難しい部分を熟すことで達成感と同時に自分の持つ技術が向上するということを大切にしてきたからです。だから曲創りにおいても常に〝合唱音楽〟〝合唱芸術〟といったことを頭に置きその実現を目指してあらゆる方法を駆使して皆さまに伝え理解してもらいながら纏めてきました。
そしてそのことと関連して私は、〝音楽は哲学である〟と説いてきました。特に〝合唱音楽〟はその素敵なメロディとハーモニー、時にはリズムによって詩と融合した音楽として私たちの心の中に素晴らしい世界を齎します。素敵な音の広がりと共に言葉の持つ力強い…時には繊細な…パワー…意味合い…を受けとめ深く考えつつその感動から受ける力によって自分の半生を振り返り、行く末・未来に向かって能力の総てを以て挑もうとする気力を得るのです。そこに〝音楽は哲学である〟という所以があると思っています。
また私は、〝音楽は物理学である〟とも〝音楽は数学ある〟とも言って来ました。それは言うまでもなく音楽の音は空気を震わせて伝わる音波の原理を駆使することで響きのある歌声として創り上げることあり、まさしく〝倍音〟はこの音の仕組みを物理学として捕らえたものですし、数学的にも〝倍音〟の原理、純正音…純正調…として原音の1/2分割、1/3分割、1/4分割、1/5分割・・・といった数字の組み合わせによって解明されており、私たちはその数字の中にはまり込むことを目指して各パート内の声を一定の波長に合わせ、各パートを組み合わせて響かせることによって自分たちの発している声の上に…実際には出していない高い声である…〝倍音〟が聞こえてくるのです。私は何度もこの〝倍音〟を体現しましたし、一度〝倍音〟を体感すると虜になってしまいそこ…合唱活動…から抜け出せなくなってしまうのです。正に私はこうして今も〝合唱活動〟〝音楽活動〟から抜け出せていません。
そして〝音楽は哲学である〟ということを私の〝音楽創り〟の信念として、合唱曲を創り上げるときには必ず詩を大切にし、その言葉の奥にある作詞者…詩人…や作曲家の心を読み解き、自分の人生観と抱き合わせで解釈し、深く彫り込みながら音の流れに色彩を与えるべく音の強弱だけでなく緩急を織りまぜながら心から溢れる情感を曲に乗せていくのが私の曲創りの方法です。
私はまた、常々〝指揮者は孤独である〟ということを言ってきました。それは指揮者という立場は団員からの情報…本音…が届きにくいということです。前にも書きましたが常にアンテナを張って団員がどのような考えを持っているか、どんな思いで歌いに来ているのか、またどのような曲が歌いたいのかなどを知るように心がける必要があると思います。そしてその団員の思いと自分の想いを重ね合わせて練習のやり方を考えたり曲を選んだりしなければなりません。
どのように持って行けば団員の歌いたい心を満たせるかを感知し練習方法として確立させ、そこに指揮者としての想いを注ぎ込むようにするための表現の方法を考えていく必要があります。それが団員の心と心を合わせることであり指揮者の考える曲想…曲の表情…を塗り込めていく作業であると思います。これが私の曲創りにおける基本的な考え方であり姿勢なのです。
私はいつも…練習においてもステージにおいても…私の振る曲にはやさしさとあたたかさを盛り込みたいと思ってきました。特にステージでは、聴いていただく方々へのメッセージを載せてひとつの物語を設定し、曲順を考えていきます。次回はそのことについても触れてみたいと思っています。
当方の投稿でこのページを独占してしまわないように何日か毎に投稿している訳ですので、どうぞ間に会員の皆様の活発な投稿も期待しています。また「指揮者のひとりごと」につきましてもご意見、感想などをお書き頂ければと思います。
まだまだ続きます。よろしくお願い致します。
指揮者のひとりごと…振りの基本…その5
私は、常に〝指揮者は挑戦者であれ〟ということを大切にし、色々な事柄に対し興味を持ち知ろうとすることが大事だと思ってきました。そして選曲においても団員の皆さんの力量よりも少し高めの…難曲とまでは行かなくても少し苦労して譜読みをすることで皆の技術が高まるような…曲を設定し、且つ自分の持つ技術を少し超えたところに焦点を置き選ぶようにしてきました。
それは、少しでも楽に譜読みが出来るようになって貰うことと同時にちょっと難しい部分を熟すことで達成感と同時に自分の持つ技術が向上するということを大切にしてきたからです。だから曲創りにおいても常に〝合唱音楽〟〝合唱芸術〟といったことを頭に置きその実現を目指してあらゆる方法を駆使して皆さまに伝え理解してもらいながら纏めてきました。
そしてそのことと関連して私は、〝音楽は哲学である〟と説いてきました。特に〝合唱音楽〟はその素敵なメロディとハーモニー、時にはリズムによって詩と融合した音楽として私たちの心の中に素晴らしい世界を齎します。素敵な音の広がりと共に言葉の持つ力強い…時には繊細な…パワー…意味合い…を受けとめ深く考えつつその感動から受ける力によって自分の半生を振り返り、行く末・未来に向かって能力の総てを以て挑もうとする気力を得るのです。そこに〝音楽は哲学である〟という所以があると思っています。
また私は、〝音楽は物理学である〟とも〝音楽は数学ある〟とも言って来ました。それは言うまでもなく音楽の音は空気を震わせて伝わる音波の原理を駆使することで響きのある歌声として創り上げることあり、まさしく〝倍音〟はこの音の仕組みを物理学として捕らえたものですし、数学的にも〝倍音〟の原理、純正音…純正調…として原音の1/2分割、1/3分割、1/4分割、1/5分割・・・といった数字の組み合わせによって解明されており、私たちはその数字の中にはまり込むことを目指して各パート内の声を一定の波長に合わせ、各パートを組み合わせて響かせることによって自分たちの発している声の上に…実際には出していない高い声である…〝倍音〟が聞こえてくるのです。私は何度もこの〝倍音〟を体現しましたし、一度〝倍音〟を体感すると虜になってしまいそこ…合唱活動…から抜け出せなくなってしまうのです。正に私はこうして今も〝合唱活動〟〝音楽活動〟から抜け出せていません。
そして〝音楽は哲学である〟ということを私の〝音楽創り〟の信念として、合唱曲を創り上げるときには必ず詩を大切にし、その言葉の奥にある作詞者…詩人…や作曲家の心を読み解き、自分の人生観と抱き合わせで解釈し、深く彫り込みながら音の流れに色彩を与えるべく音の強弱だけでなく緩急を織りまぜながら心から溢れる情感を曲に乗せていくのが私の曲創りの方法です。
私はまた、常々〝指揮者は孤独である〟ということを言ってきました。それは指揮者という立場は団員からの情報…本音…が届きにくいということです。前にも書きましたが常にアンテナを張って団員がどのような考えを持っているか、どんな思いで歌いに来ているのか、またどのような曲が歌いたいのかなどを知るように心がける必要があると思います。そしてその団員の思いと自分の想いを重ね合わせて練習のやり方を考えたり曲を選んだりしなければなりません。
どのように持って行けば団員の歌いたい心を満たせるかを感知し練習方法として確立させ、そこに指揮者としての想いを注ぎ込むようにするための表現の方法を考えていく必要があります。それが団員の心と心を合わせることであり指揮者の考える曲想…曲の表情…を塗り込めていく作業であると思います。これが私の曲創りにおける基本的な考え方であり姿勢なのです。
私はいつも…練習においてもステージにおいても…私の振る曲にはやさしさとあたたかさを盛り込みたいと思ってきました。特にステージでは、聴いていただく方々へのメッセージを載せてひとつの物語を設定し、曲順を考えていきます。次回はそのことについても触れてみたいと思っています。
指揮者のひとりごと4
指揮者のひとりごと…振りの基本…その4
前々回では日本の音楽教育についての個人的な一所見…大変大きく出ましたが…を書いてみましたが、合唱界における問題はそれだけではありません。
以前にも触れましたが「演奏会がうまくいったとき、その成果は団員全員の努力の賜であり決して指揮者ひとりの成果ではない」という趣旨のことを書いたと思います。言い換えれば、私は常々〝指揮者は謙虚でなければならない〟と思っています。
指揮者が傲慢になったり偉そうに上から目線で教えてやっているといった態度をとることは以ての外です。そんな指揮者の態度が感じられれば団員は面白くないだけでなく指揮者を信頼できなくなり、やがて離れていきます。
また、周りからの色々な声を敏感にキャッチしその中から自分の指揮の技術に関しての批判を素直に受けとめ改善するところはどこかをしっかり掴み取り見直し、初心に戻って振りの練習に励むことです。特に身内からのヨイショ…好意的なおべんちゃらは慢心の元…は聞き流して厳しい批評ほど大切にしなければならないと思っています。そこにこそ自分の弱点・技術的未熟が指摘されていると有り難く受けとめ反省を込めて技術を磨いていかねばならないのです。
今日は少々耳の痛い話になる方も居られると思いますが、それらのことについて関連するところを触れてみたいと思います。
私たちは学校で専攻してきた学問についてその総てを習得しプロとしての知識や技術を完成し身に付けて…卒業という切符を手に入れて…きたわけではありません。しかし中には卒業を持ってすべての知識や技術を修めプロとして活躍できると思い込んでいる人も居られるように思います。でも多くの場合は学び取った筈の知識・技術のある部分においては全くの素人と同じかそれ以下である場合もあるのではないでしょうか。
例えば音楽大学…院…のピアノ専攻(科)卒業ですべての人がプロの演奏家として成功しているわけではありません。寧ろ演奏会で素晴らしい演奏が出来るのはその内の数えるほどでしかないのです。また声楽科を出てもプロの声楽家として人々に感動を与える演奏が出来るのもまたほんの数人なのです。声楽科を出ただけで所属する合唱団でソロを歌っても指揮者の求めるような繊細な演奏が出来るとは限りません。曲の終りのdecrescendoが持たずに途中で大きいままブツリと切ってしまうようなプロ…本当に声楽コースを出たの?…とは思えないような人もいますし、況してやご自分の専攻でないものに関しては基礎…基本的な技術…も身についてない場合が殆どです。
特に指揮の場合は大学などに指揮科専攻といったコースが設置されているところは少なく、殆どのプロの指揮者は学生時代または卒業してから指揮に興味を持って個人的に専攻…専門家に付いて猛勉強…して獲得される場合が多いのです。
また、特に巷の合唱団…街のアマチュア合唱団の場合は尚更…では、正式に指揮法を…独学にしろ先生に付いてにしろ…深く学んだ経験のある指揮者は少ないのではないでしょうか?・・・小学校や中学校のPTAコーラスやそれが元となって作られた女声合唱団の場合は特にメンバーの中から少し楽譜が読めるとかちょっと人より歌がうまい、音楽の勉強をしてきたというだけで前に推されて立たざるを得ないといった形で已むなく指揮を執っている方も多いのでは?・・・にも拘わらず、ある意味私たちの周りにもちょっと齧っただけの知識や技術でもって自分の知識・技術は完璧であると…無謀なプロ意識で上から目線の…過大な自信を持って人の前に立つ人物も居られるわけですから、幾つになってもしっかり学ぶことは大切だと思います。人それぞれではありますが・・・。
私は、そう意味でも指揮者とは一生学びの姿勢を怠ってはならないと思っていますし常に謙虚でなければならないとも思っています。況して慢心することは絶対に避けなければならないと強く思っています。
そして途中で迷ったとき、団員からよく解らないと言った言葉が出たとき、私が学生時代に学び取った初心に戻って指揮の基礎・振りの基本を何度も何度も繰り返し学び直すことが大切だとの認識を持ってやってきました。またあらゆる機会を通じて指揮法に関する勉強が出来る場を求めて、自腹を切ることを躊躇せず…金銭的にも時間的にも…学ぶことに貪欲でなければならないとも思っています。
指揮者はまた自分に〝過分な自信を持ったとき、それは堕落の始まりであり指揮者としては失格である〟と思っています。もしそうなったら、その時点から指揮者としての資質は地に落ち、所属する合唱団は衰退・消滅に向かってなだれ落ちる運命を背負うことになってしまうとも思っています。だから指揮者の資質が最も大切だと常に自分に言い聞かせ、技術だけでなく情緒を…繊細な感情の機微・万象の有り様を繊細に感じ取る心を豊かに…学ぶことに貪欲でなければならないとも。
私のこのような思いは今の時代には受け入れられないものなのでしょうか?
前々回では日本の音楽教育についての個人的な一所見…大変大きく出ましたが…を書いてみましたが、合唱界における問題はそれだけではありません。
以前にも触れましたが「演奏会がうまくいったとき、その成果は団員全員の努力の賜であり決して指揮者ひとりの成果ではない」という趣旨のことを書いたと思います。言い換えれば、私は常々〝指揮者は謙虚でなければならない〟と思っています。
指揮者が傲慢になったり偉そうに上から目線で教えてやっているといった態度をとることは以ての外です。そんな指揮者の態度が感じられれば団員は面白くないだけでなく指揮者を信頼できなくなり、やがて離れていきます。
また、周りからの色々な声を敏感にキャッチしその中から自分の指揮の技術に関しての批判を素直に受けとめ改善するところはどこかをしっかり掴み取り見直し、初心に戻って振りの練習に励むことです。特に身内からのヨイショ…好意的なおべんちゃらは慢心の元…は聞き流して厳しい批評ほど大切にしなければならないと思っています。そこにこそ自分の弱点・技術的未熟が指摘されていると有り難く受けとめ反省を込めて技術を磨いていかねばならないのです。
今日は少々耳の痛い話になる方も居られると思いますが、それらのことについて関連するところを触れてみたいと思います。
私たちは学校で専攻してきた学問についてその総てを習得しプロとしての知識や技術を完成し身に付けて…卒業という切符を手に入れて…きたわけではありません。しかし中には卒業を持ってすべての知識や技術を修めプロとして活躍できると思い込んでいる人も居られるように思います。でも多くの場合は学び取った筈の知識・技術のある部分においては全くの素人と同じかそれ以下である場合もあるのではないでしょうか。
例えば音楽大学…院…のピアノ専攻(科)卒業ですべての人がプロの演奏家として成功しているわけではありません。寧ろ演奏会で素晴らしい演奏が出来るのはその内の数えるほどでしかないのです。また声楽科を出てもプロの声楽家として人々に感動を与える演奏が出来るのもまたほんの数人なのです。声楽科を出ただけで所属する合唱団でソロを歌っても指揮者の求めるような繊細な演奏が出来るとは限りません。曲の終りのdecrescendoが持たずに途中で大きいままブツリと切ってしまうようなプロ…本当に声楽コースを出たの?…とは思えないような人もいますし、況してやご自分の専攻でないものに関しては基礎…基本的な技術…も身についてない場合が殆どです。
特に指揮の場合は大学などに指揮科専攻といったコースが設置されているところは少なく、殆どのプロの指揮者は学生時代または卒業してから指揮に興味を持って個人的に専攻…専門家に付いて猛勉強…して獲得される場合が多いのです。
また、特に巷の合唱団…街のアマチュア合唱団の場合は尚更…では、正式に指揮法を…独学にしろ先生に付いてにしろ…深く学んだ経験のある指揮者は少ないのではないでしょうか?・・・小学校や中学校のPTAコーラスやそれが元となって作られた女声合唱団の場合は特にメンバーの中から少し楽譜が読めるとかちょっと人より歌がうまい、音楽の勉強をしてきたというだけで前に推されて立たざるを得ないといった形で已むなく指揮を執っている方も多いのでは?・・・にも拘わらず、ある意味私たちの周りにもちょっと齧っただけの知識や技術でもって自分の知識・技術は完璧であると…無謀なプロ意識で上から目線の…過大な自信を持って人の前に立つ人物も居られるわけですから、幾つになってもしっかり学ぶことは大切だと思います。人それぞれではありますが・・・。
私は、そう意味でも指揮者とは一生学びの姿勢を怠ってはならないと思っていますし常に謙虚でなければならないとも思っています。況して慢心することは絶対に避けなければならないと強く思っています。
そして途中で迷ったとき、団員からよく解らないと言った言葉が出たとき、私が学生時代に学び取った初心に戻って指揮の基礎・振りの基本を何度も何度も繰り返し学び直すことが大切だとの認識を持ってやってきました。またあらゆる機会を通じて指揮法に関する勉強が出来る場を求めて、自腹を切ることを躊躇せず…金銭的にも時間的にも…学ぶことに貪欲でなければならないとも思っています。
指揮者はまた自分に〝過分な自信を持ったとき、それは堕落の始まりであり指揮者としては失格である〟と思っています。もしそうなったら、その時点から指揮者としての資質は地に落ち、所属する合唱団は衰退・消滅に向かってなだれ落ちる運命を背負うことになってしまうとも思っています。だから指揮者の資質が最も大切だと常に自分に言い聞かせ、技術だけでなく情緒を…繊細な感情の機微・万象の有り様を繊細に感じ取る心を豊かに…学ぶことに貪欲でなければならないとも。
私のこのような思いは今の時代には受け入れられないものなのでしょうか?
指揮者のひとりごと3
指揮者のひとりごと…振りの基本…その3
前回は日本の音楽教育の現状と合唱音楽についての私の思いを中心に書いてきましたが、今回は具体的な振りの基本に関わる方法をひとつご披露申し上げたいと思います。
もう少し後でまとめてと思っていましたが前回の投稿に対する桧垣さんからのコメントにありましたように、私が若かりし頃に最初に教えられた振りの基本中の基本について触れてみたいと思います。
まず振り方の基本…基礎…である「腕の力を抜く」ことについて、私が一番気にいった具体的な練習方法をお話ししておきましょう。それはいろいろな教本に書かれている指揮法…三拍子や四拍子…の勉強の前に、最初に身に着けるべきこと…基本の基本…だと思うからです。
その方法とは、両腕を前に静止してそこから振り下ろし素早く元の場所に戻す練習を繰り返すといった単純な動作を何度も繰り返すことで腕に力が入らず…どれほど振り続けても…疲れない振り方を習得することです。その時腕が下の位置に到達した瞬間に力を入れて直ぐ…瞬時に…その力を抜いて打力…反発力…で元の場所に戻す練習です。静止状態から振り下ろすときも下の位置から上がるときも腕に力が入っていない状態でなければなりません。
もう少し解説すれば、上の位置から力を抜いて…地球の引力だけで…腕を落とし下の位置で打ち上げる瞬間、腕…指の先…に力を与え反動で上に跳ね上げるということです。その時入れた力は瞬時に抜かねばならないことは言うまでもありません。初めは中々自分の腕であるにも拘わらず力を抜くと言うことが難しいのですが、だんだん慣れてくるとコツがわかり出来るようになります。
もう一つヒントを出しておけば、多分皆さんは公共の乗り物に乗ってお出掛けになると思いますが、その時もしも席が空いて無くて立たねばならなかったら乗り物の吊り革を持って立たれると思います。ちょと時間があるときはその吊り革を持った状態を利用して腕の力を抜く練習をされるととっても効率よく腕から力が抜ける体験が出来ますので、試してみてください。私も学生時代この方法でいち早く腕の力を抜くことが出来ました。
私の学生時代は京都市の市電や市バスをよく利用して、乗ったらすいていても立って吊り革を持ち、そこからパッと手を離し腕を下に落とし胸の前辺りで瞬間力を入れ直後にスッと抜いてその反動で元の吊り革のところに戻す動作を…乗客の奇異の目も気にせず…何度も繰り返していました。ちょうど私の通学路線が京都駅から北の端、北大路線までなので相当の時間練習が出来たものです。
最後になりますが腕の力を抜く振りの練習で忘れてはならないのは姿勢です。しっかり前を向いて立ち…体幹を伸ばして…腕振り練習のときに振るのは肘から先で行い、決して腕の付け根から振らないことです。肘は自分の身体の両脇に脇腹から少し…握りこぶし1~2個分程度…間隔を保って固定するようにし、そこを支点として指の先までを一直線に…指揮棒の役割があると認識して…振ること。
そうしてもう一つ大切なことは、決して手首や指先をくねくねと折り曲げるように動かさないことです。何故なら手首や指先だけをペコペコ曲げることはそれら…いろいろな関節のすべて…が支持点になるので、団員はどこを…それぞれ複数が動くので時間的感覚が異なるので人によりタイムラグが出る…支持点とみて確認すればいいのか迷ってしまいますし、団員それぞれが違う所で指示…テンポも…を感じ取るので収拾が付かなくなってしまいます。肘から人差し指の先まで一直線に伸ばし、その途中のどこをも折り曲げない…肘から先が真っ直ぐの一本の指揮棒と見なして…振りが出来るように何度も何度も練習を繰り返すことが大切です。
最初にしっかりと頭に置いて振りの基礎を身に付けることは、後々の指揮法に迷ったときなどにもう一度この振りの基礎に戻ることで問題解決の道が開けますし、基本に戻ることでそこから改めて正しい振りの方法を見いだせると思いますので、是非覚え込んでくださいね。
今日は一つだけご披露させていただきましたが、お分かりいただけましたでしょうか?まだまだいろいろありますので少しずつお話を進めていければと思っております。
前回は日本の音楽教育の現状と合唱音楽についての私の思いを中心に書いてきましたが、今回は具体的な振りの基本に関わる方法をひとつご披露申し上げたいと思います。
もう少し後でまとめてと思っていましたが前回の投稿に対する桧垣さんからのコメントにありましたように、私が若かりし頃に最初に教えられた振りの基本中の基本について触れてみたいと思います。
まず振り方の基本…基礎…である「腕の力を抜く」ことについて、私が一番気にいった具体的な練習方法をお話ししておきましょう。それはいろいろな教本に書かれている指揮法…三拍子や四拍子…の勉強の前に、最初に身に着けるべきこと…基本の基本…だと思うからです。
その方法とは、両腕を前に静止してそこから振り下ろし素早く元の場所に戻す練習を繰り返すといった単純な動作を何度も繰り返すことで腕に力が入らず…どれほど振り続けても…疲れない振り方を習得することです。その時腕が下の位置に到達した瞬間に力を入れて直ぐ…瞬時に…その力を抜いて打力…反発力…で元の場所に戻す練習です。静止状態から振り下ろすときも下の位置から上がるときも腕に力が入っていない状態でなければなりません。
もう少し解説すれば、上の位置から力を抜いて…地球の引力だけで…腕を落とし下の位置で打ち上げる瞬間、腕…指の先…に力を与え反動で上に跳ね上げるということです。その時入れた力は瞬時に抜かねばならないことは言うまでもありません。初めは中々自分の腕であるにも拘わらず力を抜くと言うことが難しいのですが、だんだん慣れてくるとコツがわかり出来るようになります。
もう一つヒントを出しておけば、多分皆さんは公共の乗り物に乗ってお出掛けになると思いますが、その時もしも席が空いて無くて立たねばならなかったら乗り物の吊り革を持って立たれると思います。ちょと時間があるときはその吊り革を持った状態を利用して腕の力を抜く練習をされるととっても効率よく腕から力が抜ける体験が出来ますので、試してみてください。私も学生時代この方法でいち早く腕の力を抜くことが出来ました。
私の学生時代は京都市の市電や市バスをよく利用して、乗ったらすいていても立って吊り革を持ち、そこからパッと手を離し腕を下に落とし胸の前辺りで瞬間力を入れ直後にスッと抜いてその反動で元の吊り革のところに戻す動作を…乗客の奇異の目も気にせず…何度も繰り返していました。ちょうど私の通学路線が京都駅から北の端、北大路線までなので相当の時間練習が出来たものです。
最後になりますが腕の力を抜く振りの練習で忘れてはならないのは姿勢です。しっかり前を向いて立ち…体幹を伸ばして…腕振り練習のときに振るのは肘から先で行い、決して腕の付け根から振らないことです。肘は自分の身体の両脇に脇腹から少し…握りこぶし1~2個分程度…間隔を保って固定するようにし、そこを支点として指の先までを一直線に…指揮棒の役割があると認識して…振ること。
そうしてもう一つ大切なことは、決して手首や指先をくねくねと折り曲げるように動かさないことです。何故なら手首や指先だけをペコペコ曲げることはそれら…いろいろな関節のすべて…が支持点になるので、団員はどこを…それぞれ複数が動くので時間的感覚が異なるので人によりタイムラグが出る…支持点とみて確認すればいいのか迷ってしまいますし、団員それぞれが違う所で指示…テンポも…を感じ取るので収拾が付かなくなってしまいます。肘から人差し指の先まで一直線に伸ばし、その途中のどこをも折り曲げない…肘から先が真っ直ぐの一本の指揮棒と見なして…振りが出来るように何度も何度も練習を繰り返すことが大切です。
最初にしっかりと頭に置いて振りの基礎を身に付けることは、後々の指揮法に迷ったときなどにもう一度この振りの基礎に戻ることで問題解決の道が開けますし、基本に戻ることでそこから改めて正しい振りの方法を見いだせると思いますので、是非覚え込んでくださいね。
今日は一つだけご披露させていただきましたが、お分かりいただけましたでしょうか?まだまだいろいろありますので少しずつお話を進めていければと思っております。
指揮者のひとりごと2
「土田さんの合唱への思い」
土田和彦さんは第4回、第5回定演の指揮者で、土田さんが65年以上に渡って指揮されてこられた神戸市職員合唱団「こおるぺっこ」(土田さん命名)をこの度引退されました。合唱指揮者として合唱音楽と指揮に関するご自身の熱い思いを「指揮者のひとりごと」として10数回に分けて書かれておられますのでご本人のご了承を得てご紹介しています。
指揮者のひとりごと…振りの基本…その2
昨夜のニュース番組で世界的に活躍されていた指揮者の小澤征爾さんが今月6日に亡くなられていたとの報が伝えられ、特集が組まれていました。その中で高校生を指導されている場面で征爾さんが厳しく教えられていたのは、高校生の指揮者が手首をくねくねと動かしながら振っているのを「ダメダメそんなことをしては・・・」と窘めておられました。肘から人差し指の先までが一本の指揮棒のように真っ直ぐにして振らねばならないと教えられてきたことと同じことを指摘されていたのです。私が多くの指揮者を見てこれはいけないなと思っていたことですが、肘を大きく動かしたり手首を折るように曲げ動かしたりすればいろいろなところが指示点になってしまうからだということです。肘は両脇近くに固定し肘から指先までは一直線の棒のように真っ直ぐにして振らねばならないと強く教えられたことを思い出していました。
私たちの周りにもたくさんの指揮者がいろいろな合唱団で振っていますし、それら多くの指揮者が振る姿を見てきて私なりに思うこともいろいろあります。今日はそれらの指揮者の姿から思うことをお話ししてみたいと思います。
まずは〝日本の音楽教育について思うこと〟なんて大変大きく出ましたが、私が合唱指揮者として続けてきた練習法について、合唱曲を歌うに当たって大切なことはメロディをしっかり歌うだけでなくそこに醸し出されるハーモニーもしっかり感じながら歌うことが大切だと思っています。
私が思うことは、現在多くの合唱団…特に女声合唱団で…の練習法には大きな違いがあるように思うところから来る疑問でもあります。
それは、女声合唱団の中には街のピアノ教室で講師をしている方がご自分の子供の成長に応じて幼稚園や小学校、または中学校の時に請われてPTAコーラスで教えて欲しいということで指揮を請け負う方も多いと思います。
このような形で指揮をされている方々の中には、多分多くの方が楽器製作会社のキャンペーンに応募されてピアノ講師のメソッドを受講され、競って高いグレードの資格を持って教えられているでしょう。そこで学んでこられたのは主に「ピアノを教える」ことを主体として習われてきた教え方なのではないでしょうか。実は合唱を教えるに当たって、私はそこにいろいろな問題が出てくると考えています。
ピアノは鍵盤楽器として1オクターブを平均的に12分割した音で調律されています。所謂12音音階・平均律ですね。ピアノに向かったとき一番最初に覚えるのは鍵盤の位置ですね。そして鍵の近くにあるC…独名ツェ-・英名シー・和名ハ…音を中心として上下に白鍵と黒鍵が並べられています。白鍵だけを上に順番に弾いていけば「ドレミファソラシド」と並べられていますね。言うまでもなく下に弾いていけば「ドシラソファミレド」の順に音が出ます。まずこのピアノの音の並びを教えられるのですが、中心のC音は飽くまでも「ド」なのですね。従って上隣の音は「レ」、下隣の音は「シ」というようにそれらの音を「階名」で教えられるのです。これが後々まで尾を引くようになるのですが、即ちここで教えられたことを子供たちに教えるのも同じことを教えていくのです。
楽器製作会社がピアノを普及させよう…なんとか日本全国にピアノを売ろう…としてそれを学ぶ手段も含めて普及させたことから日本の音楽教育はC音は「ド」というように「階名」を「音名」として教えることでした。これが今では音楽の主流として日本の津々浦々にまで「音楽」を広めていった経緯なのです。このことはとっても素晴らしいことですが、実はそこに合唱音楽の普及にとって大きな落とし穴があったのです。
それはこの教え方は楽譜を読むときにC音は「ド」というように固定された音の名前が使われてどの楽譜を見ても五線譜の下第1線や第4間を「ド」と認識して読む方法が広がっていきました。これが所謂「固定ド唱法」と言われるものです。
この方法は音の持つ高さを把握するには便利…飽くまでも一つの音に一つの名称が与えられているので迷わない…ですが、音楽全体を把握し学ぶには欠陥があるということです。
音楽とは…曲の成り立ち…メロディー・ハーモニー・リズムからなるものですので、メロディーを構成する音の高さ…横の繋がり…を連続して追っていくだけではなく、そこに縦の繋がりであるハーモニーも同時に感じ取らねばなりませんし、時間的経過としてのリズムも加わって成り立っているので、それらの要素を同時に学んでいかねばなりません。そのためには音の高さだけを把握する「固定ド唱法」では後から苦労してハーモニーの成り立ちなどを学ばねばならないのです。
それに比べて私たちが子供の頃に学んできた音楽教育では楽譜の読み方としてその曲の持つ調性によってその調の「階名」で読む方法がとられてきました。例えばハ長調ではC音が「ド」となり、ヘ長調ではF音が「ド」となる読み方で譜読みをするのです。また変ロ長調であればB音(独名べー:英名ではB♭ビーフラット)を「ド」と読ませてその上に音階…ドレミの音の間隔・ド(全音)レ(全音)ミ(半音)ファ(全音)ソ(全音)ラ(全音)シ(半音)ド…が構築されていくことになりますね。そこで大切なことは音階のそれぞれの音の上に3度・5度上の音を重ねて演奏する和音の変化…進行…によって紡ぎ出されるハーモニー…和声進行…も感じ取れるようになっていきます。即ち自分の歌っている「階名」の持つ和音の成り立ちが知らない間に頭の中で見えてくる…考えている…ことになるのです。
このように「移動ド唱法」という方法で読むことでその調の持つハーモニーの構成…和声進行の方法…も知らない間に身に付けることが出来るので、合唱を学んだり歌ったりする場合は特に「固定ド唱法」よりも「移動ド唱法」のほうが適していると言えるのです。しかし残念ながら上に書いたように…楽器製作会社のキャンペーンに乗って…固定ド唱法による譜読みが浸透した結果、音楽の大切な要素のうちハーモニーの部分が欠落してしまったのです。これは日本の楽器製作会社の商業主義による弊害と言ってもいいように思いますが、逆に考えればこの販売促進によって多くの子供たちに音楽教育が行き渡ったのも事実ですから、功罪合いともなっていて一概に悪いとも言えませんがね。
長くなりましたので、このあたりで・・・また次回に。
土田和彦さんは第4回、第5回定演の指揮者で、土田さんが65年以上に渡って指揮されてこられた神戸市職員合唱団「こおるぺっこ」(土田さん命名)をこの度引退されました。合唱指揮者として合唱音楽と指揮に関するご自身の熱い思いを「指揮者のひとりごと」として10数回に分けて書かれておられますのでご本人のご了承を得てご紹介しています。
指揮者のひとりごと…振りの基本…その2
昨夜のニュース番組で世界的に活躍されていた指揮者の小澤征爾さんが今月6日に亡くなられていたとの報が伝えられ、特集が組まれていました。その中で高校生を指導されている場面で征爾さんが厳しく教えられていたのは、高校生の指揮者が手首をくねくねと動かしながら振っているのを「ダメダメそんなことをしては・・・」と窘めておられました。肘から人差し指の先までが一本の指揮棒のように真っ直ぐにして振らねばならないと教えられてきたことと同じことを指摘されていたのです。私が多くの指揮者を見てこれはいけないなと思っていたことですが、肘を大きく動かしたり手首を折るように曲げ動かしたりすればいろいろなところが指示点になってしまうからだということです。肘は両脇近くに固定し肘から指先までは一直線の棒のように真っ直ぐにして振らねばならないと強く教えられたことを思い出していました。
私たちの周りにもたくさんの指揮者がいろいろな合唱団で振っていますし、それら多くの指揮者が振る姿を見てきて私なりに思うこともいろいろあります。今日はそれらの指揮者の姿から思うことをお話ししてみたいと思います。
まずは〝日本の音楽教育について思うこと〟なんて大変大きく出ましたが、私が合唱指揮者として続けてきた練習法について、合唱曲を歌うに当たって大切なことはメロディをしっかり歌うだけでなくそこに醸し出されるハーモニーもしっかり感じながら歌うことが大切だと思っています。
私が思うことは、現在多くの合唱団…特に女声合唱団で…の練習法には大きな違いがあるように思うところから来る疑問でもあります。
それは、女声合唱団の中には街のピアノ教室で講師をしている方がご自分の子供の成長に応じて幼稚園や小学校、または中学校の時に請われてPTAコーラスで教えて欲しいということで指揮を請け負う方も多いと思います。
このような形で指揮をされている方々の中には、多分多くの方が楽器製作会社のキャンペーンに応募されてピアノ講師のメソッドを受講され、競って高いグレードの資格を持って教えられているでしょう。そこで学んでこられたのは主に「ピアノを教える」ことを主体として習われてきた教え方なのではないでしょうか。実は合唱を教えるに当たって、私はそこにいろいろな問題が出てくると考えています。
ピアノは鍵盤楽器として1オクターブを平均的に12分割した音で調律されています。所謂12音音階・平均律ですね。ピアノに向かったとき一番最初に覚えるのは鍵盤の位置ですね。そして鍵の近くにあるC…独名ツェ-・英名シー・和名ハ…音を中心として上下に白鍵と黒鍵が並べられています。白鍵だけを上に順番に弾いていけば「ドレミファソラシド」と並べられていますね。言うまでもなく下に弾いていけば「ドシラソファミレド」の順に音が出ます。まずこのピアノの音の並びを教えられるのですが、中心のC音は飽くまでも「ド」なのですね。従って上隣の音は「レ」、下隣の音は「シ」というようにそれらの音を「階名」で教えられるのです。これが後々まで尾を引くようになるのですが、即ちここで教えられたことを子供たちに教えるのも同じことを教えていくのです。
楽器製作会社がピアノを普及させよう…なんとか日本全国にピアノを売ろう…としてそれを学ぶ手段も含めて普及させたことから日本の音楽教育はC音は「ド」というように「階名」を「音名」として教えることでした。これが今では音楽の主流として日本の津々浦々にまで「音楽」を広めていった経緯なのです。このことはとっても素晴らしいことですが、実はそこに合唱音楽の普及にとって大きな落とし穴があったのです。
それはこの教え方は楽譜を読むときにC音は「ド」というように固定された音の名前が使われてどの楽譜を見ても五線譜の下第1線や第4間を「ド」と認識して読む方法が広がっていきました。これが所謂「固定ド唱法」と言われるものです。
この方法は音の持つ高さを把握するには便利…飽くまでも一つの音に一つの名称が与えられているので迷わない…ですが、音楽全体を把握し学ぶには欠陥があるということです。
音楽とは…曲の成り立ち…メロディー・ハーモニー・リズムからなるものですので、メロディーを構成する音の高さ…横の繋がり…を連続して追っていくだけではなく、そこに縦の繋がりであるハーモニーも同時に感じ取らねばなりませんし、時間的経過としてのリズムも加わって成り立っているので、それらの要素を同時に学んでいかねばなりません。そのためには音の高さだけを把握する「固定ド唱法」では後から苦労してハーモニーの成り立ちなどを学ばねばならないのです。
それに比べて私たちが子供の頃に学んできた音楽教育では楽譜の読み方としてその曲の持つ調性によってその調の「階名」で読む方法がとられてきました。例えばハ長調ではC音が「ド」となり、ヘ長調ではF音が「ド」となる読み方で譜読みをするのです。また変ロ長調であればB音(独名べー:英名ではB♭ビーフラット)を「ド」と読ませてその上に音階…ドレミの音の間隔・ド(全音)レ(全音)ミ(半音)ファ(全音)ソ(全音)ラ(全音)シ(半音)ド…が構築されていくことになりますね。そこで大切なことは音階のそれぞれの音の上に3度・5度上の音を重ねて演奏する和音の変化…進行…によって紡ぎ出されるハーモニー…和声進行…も感じ取れるようになっていきます。即ち自分の歌っている「階名」の持つ和音の成り立ちが知らない間に頭の中で見えてくる…考えている…ことになるのです。
このように「移動ド唱法」という方法で読むことでその調の持つハーモニーの構成…和声進行の方法…も知らない間に身に付けることが出来るので、合唱を学んだり歌ったりする場合は特に「固定ド唱法」よりも「移動ド唱法」のほうが適していると言えるのです。しかし残念ながら上に書いたように…楽器製作会社のキャンペーンに乗って…固定ド唱法による譜読みが浸透した結果、音楽の大切な要素のうちハーモニーの部分が欠落してしまったのです。これは日本の楽器製作会社の商業主義による弊害と言ってもいいように思いますが、逆に考えればこの販売促進によって多くの子供たちに音楽教育が行き渡ったのも事実ですから、功罪合いともなっていて一概に悪いとも言えませんがね。
長くなりましたので、このあたりで・・・また次回に。