ホーム トピック アルバム 留意事項 検索 過去ログ 管理
おなまえ
Eメール
タイトル
コメント
参照URL
添付File ※最大サイズ5MB
暗証キー (英数字8文字以内)
画像認証 (右画像の数字入力) 投稿キー
文字色
arrow.png
土曜に何か書く7
先週に引き続いて忠臣蔵の真相を探求するお話です。今回の話だけでも忠臣蔵脚本家が肝心なところで作り話をしているとご理解いただけます。

4.江戸城内での刃傷事件が起こるまでのストーリー
≪刃傷事件当時の浅野と吉良の役割≫
最初に事件当時の浅野 内匠頭(タクミノカミ)と吉良 上野介(コウズケノスケ)の役割を書いておきます。
#天皇が勅使を、将軍である徳川綱吉に派遣することになっており、その勅使接待の担当者が浅野で、接待総責任者が吉良とされた。
#すなわち吉良は浅野に手落ちがないように指導・監督する役目でした。特に今回は将軍綱吉が母へ朝廷から「従一位」という高位をもらえるように働きかけをしている最中だったので、“勅使の接待には絶対に不備があってはならない” という特別な事情がありました。

≪吉良によるイジメの数々≫
忠臣蔵の脚本では浅野は初めての接待役なので吉良に接待の方法について色々と教えを請います。しかし吉良は刃傷事件の日に至るまでに浅野に散々意地悪をしていた。内容は下記の通り
①勅使接待場の玄関に金屏風を飾るべきところ、吉良は墨絵屏風を飾るべきと教え浅野に恥をかかせた
②接待の料理に地味な精進料理を出すべきと吉良は浅野にウソを教えた。
③勅使が将軍家菩提寺の増上寺に参詣する時に畳替えをすべきなのに必要ないと指示した。
④勅使来訪当日の服装は最高級礼装(大紋)であるべきなのに略礼装(長裃)でいいと指示した。

言っておきますが、これらはみな作り話です。理由は下記の通りです。

≪常識的に考えてあり得ないストーリー≫
# 上記①~④はどれも天皇の使いである勅使に対して非常に失礼なことをすることになります。そのためひょっとして勅使が怒って京へ帰ってしまうことは当然考えられます。
# 勅使が怒って京へ帰ってしまうと、今回は特に大切な接待なので綱吉将軍は激怒するでしょう。そうなれば浅野だけでなく指導・監督役の吉良も「お前がついていながら何だ!」と責任を問われます。このような自分で自分の首を絞めるようなバカなことを吉良がするはずがありません。

≪実は浅野は接待役を以前やっていた≫
忠臣蔵の脚本では浅野は初めて接待役を受け持ったことになっているが、実際は17歳の時に同じ役を経験している。当然、接待の方法は浅野やその家臣が知らないはずがないのです。ですから吉良から聞かなくてもどの様にするかは知っていたはず。そもそも今回の勅使接待は絶対に落ち度があってはいけないので、接待役を初心者に任せるはずがなく、経験ある浅野が選ばれているのです。
それで上記①~④は全て吉良を悪人にして浅野を善良な被害者にするための作り話です。また浅野が殿中刃傷事件を起こしたもっともらしい理由としたいからです。

≪すべては浅野の刃傷事件を起こした理由付けのため≫
何故このような話をでっちあげるかと言えば、次回以降で述べますが現実には刃傷事件の原因となるような具体的な出来事を誰も知らなかったからです。殿中で刀を少し抜くだけで “お家断絶・切腹” になるのです。そんなムチャクチャ異常な行動を起こした原因の説明のために忠臣蔵芝居の脚本家は苦心して色んな作り話をしました。
そもそも普通に考えて、浅野が自分と藩が破滅するような行いをするなんて一時的に精神異常を起こさない限りあり得ないわけです。しかしそれでは 「悪人は滅び、正義が勝つ」 という芝居のストーリーにならない。何としても浅野は正常であったが極悪人の吉良にいじめられてカッとなり刃傷に及んだことにしないと観客に喜んでもらえるストーリーにならないのです。


下図は雪の夜の吉良邸討入りを描いた浮世絵 『夜討之図』 歌川国芳

458

user.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2022/01/22(Sat) 06:39 No.458 [返信]
土曜に何か書く6
1.忠臣蔵の真相についてお話します
私が小中学校生だった50~60年ほど前の時代でしたら年末年始のTV番組ではよく忠臣蔵が放送されていました。それは忠臣蔵クライマックスの赤穂浪士吉良邸討入りが旧暦で12月14日、新暦で言えば1月末であり時期的に近いことによるためでしょう。

昭和時代までの日本では人気のあった忠臣蔵の物語は下記の赤穂事件をもとに創作されたものです。そのため忠臣蔵のストーリーには史実とは異なる作り話が沢山あります。実際にはまさかと思うような根本的なところでフィクションがあるのです。なかなか意外性があって面白いので数回にわたってお話いたします。暇な方にはお読みいただいたら雑学にはなると思います。ちなみにタネ本は井沢元彦著『逆説の日本史14 文治政治と忠臣蔵の謎』(2011年小学館文庫)です。
下図は葛飾北斎作の 『仮名手本忠臣蔵』 十一段目 吉良邸討入りの浮世絵

456

user.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2022/01/15(Sat) 08:20 No.456 [返信]
土曜に何か書く6
2.忠臣蔵の元となった赤穂事件とは
関連して起こった江戸時代の下記の二つの事件を指している。
◎ 殿中刃傷事件
元禄14年(1701年)3月14日に赤穂藩主の浅野 内匠頭(タクミノカミ)が殿中すなわち江戸城内で吉良 上野介(コウズケノスケ)に斬りつけたため切腹・御家断絶となった事件。
◎ 赤穂浪士吉良邸討ち入り事件
翌元禄15年12月14日夜から翌日にかけて、赤穂藩の主席家老だった大石 内蔵助(クラノスケ)をリーダーとする赤穂藩浪人47人が吉良邸を襲撃し、上野介を討取ったという事件。

3.忠臣蔵という題名になった理由
≪蔵の話ではないのになぜこの題名≫
私は小さいころ 『忠臣蔵』 という題名の意味が解らなかった。題名に「蔵」がつくので物語に蔵が出てくるかと思えば全然そんなことはないので 「なんでだろう?」 と常に思っていた。その理由は下記の通りだったのです。

≪江戸時代の芝居には規制があったので≫
忠臣蔵とはもともと人形浄瑠璃のタイトルであって、1748年初演 『仮名手本忠臣蔵』に由来している。
江戸時代は現実の事件をそのまま扱った芝居の上演は許されていなかった。そのため忠臣蔵の元となる赤穂事件を扱った芝居を上演しようと思っても吉良上野介や大石 内蔵助(クラノスケ)という名前を出せなかった。
それで脚本家はこれを室町時代の 『太平記』 の世界に置き換えた。ただし観客には赤穂事件のことと分かるように、下記のような色んなヒントとなる言葉をちりばめた。

# 登場人物名では吉良上野介や浅野内匠頭は 『太平記』 の登場人物名にならざるを得なかったが、大石内蔵助については大星由良之助(オオボシ ユラノスケ)で妻の名は 「お石」 とした。これで夫婦合わせて大石となる。
下図は幕末の頃に作られた忠臣蔵の浮世絵です。江戸時代であるので大星由良之助となっているが大石内蔵助のこと。吉良邸討ち入りの陣太鼓を打ち鳴らしている。
# 人形浄瑠璃題名 『仮名手本忠臣蔵』 の 「仮名手本」 とは 「いろは四十七文字 」 のことで赤穂浪士四十七士を暗示している。
# 『忠臣蔵』 とはその通り解釈すれば 「忠臣」 が 「蔵」 一杯つまったような芝居という意味であるが、この題名でリーダーの大石内蔵助を連想してもらおうとしている。

このようにして脚本家は 「この物語は本当は例の赤穂事件の話ですよ」 ということを観客に分かってもらおうとしている。
そして明治になってからは忠臣蔵の芝居が今のように浅野内匠頭とか大石内蔵助という実名を使って上演できるようになったが、題名の 『忠臣蔵』 は今さら変えるわけにいかなかったのでしょうそのまま現在に至るまで使われ続けています。
ちなみに私が 『忠臣蔵』 より前に 『〇〇蔵』 という名前の江戸時代の文芸作品がないか調べてみたら一つだけありました。井原西鶴作の浮世草子 『日本永代蔵』 (にっぽんえいたいぐら1688年)。この書名を真似たのかなと、ド素人の判断ですが思っております。

457

user_com.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2022/01/15(Sat) 08:23 No.457
府大の仮設体育館工事
下図は昨年末に写した府大敷地の南西にある運動場の写真です。
画像上半分は運動場入口の門扉ですが普段は閉じられています。見ての通り運動場が工事中であることがよく分かります。
門扉右に貼り出されている工事の看板を見ると「仮設体育館」の工事と分かります。

画像の下半分の写真は門扉の格子から中を覗き込んだものです。仮設体育館の敷地全体にコンクリートを打設したと思われるものが見えます。このコンクリートの上に仮設体育館が建つのでしょう。
7月19日付でJIJIさんがこのトークルームに書き込んでくださった京都新聞記事の話題。
当該新聞記事には現在の体育館をつぶして府内最大級のアリーナを建てるということに賛否両論出ているという記事でした。
現在仮設体育館を建設中ということはアリーナ建築計画が進められていることが分かります。仮設体育館が完成した時点で現在の体育館をつぶして跡地にアリーナを建てるということです。2024年度に完成させるとか。

454

user.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2022/01/08(Sat) 07:08 No.454 [返信]
旧短大校舎の撤去工事
今度は府大内に入ってみると昔女子短期大学部だった建物が撤去工事に入っていました。短大出身の方々には思い出深い建物がいよいよ無くなってしまうということです。寂しいことですね。

四十数年前に私が現役生だった当時の校舎の一部や体育館は今も存在していますが、現在の耐震基準を満たしていませんし、全くバリアフリーに適応していません。
車いすの学生も受け入れないといけないのにエレベーターの設置されていない校舎ではお話になりません。確かに当時の校舎は建替えるしかないと思います。ボックスも同様です。

現役の幹事長に現在行われている工事の件で何か知らないか聞きましたが、学生には詳しいことは何も下りてきていないのかよく分からないそうです。そして合唱団練習場のある第2体育館もどうなるか分からないと言っていました。
とにかくこの数年の内に府大のキャンパス風景は大きく変わりそうです。これからも適時私の方で報告させていただこうと思っております。

455

user_com.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2022/01/08(Sat) 07:15 No.455
新年明けまして
皆さん新年あけましておめでとうございます。今年も合一会報発行ならびに現役の状況報告や支援をこれまで通り続けていくつもりです。

年末には「通りすがり」さんからの書き込みがあり有難く思っております。
さてまずは去年の現役の状況を振り返って今年の合唱団の課題について述べてみようと思います。まずはこの8年間の現役の団員数変遷表をご覧になって下さい。

452

user.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2022/01/01(Sat) 07:32 No.452 [返信]
新年明けまして〔続〕
かつては団員数71名だったのが6年後の一昨年には23名と大変に落ち込みましたが、昨年は持ち直して35名まで取り戻せました。今年は多分40名台に乗せることが出来そうです。うまく行けば50名台も夢ではないでしょう。
団員数の数字だけ見れば上記のように思えますが、色々と数値では現れないことは下記で説明いたします。

#一昨年はコロナ禍で新歓が出来ず、新入団員獲得がSNSを通じてしかできなかったため1回生が3名しか獲得できず、団員数が23名と団史上初の20名台と危機的状況になりました。
しかも上記の貴重な3名の新入団員のうち2名が団を去り、去年の定演時点では1人(!)になっていたのです。

#それでも去年の新歓では現役は頑張って2回生も1回生同様に勧誘し、1回生は10名獲得、2回生は5名獲得しました。これで2回生は合計6名になり、今年はこの6人が執行回生になるわけです。
ですから今年4月から3回生になる6名のうち5名は合唱団を1年しか経験していません。一応3回生ですが2回生と団経験年数は変わらないのです。それでも団運営にやる気は満ちているようで、役選では役職に手を挙げる人が重なって調整に手間取ったそうです。

#というわけで今年の新歓をはじめ団運営の主体となる3回生そして2回生は合計16名で、うち15名が団経験1年という陣容で挑戦していくことになります。ただし彼らはヤル気で燃えているそうです。

#そして今年の新歓の最大の課題はテナーの人員確保! 去年の定演時点でテナーの3回生は3人でしたが2回生は1人、1回生はゼロでした。ですから今年のテナーの3回生と2回生はただ1人のみとなるのです。新歓でのテナー確保はまさに合唱団の生命線です。頑張ってほしいものです。

×    ×    ×    ×    ×

以上は今年の現役たちの課題でした。そして今年は府大自体にも大きな変動があります。去年末に府大に行きましたら色々と工事が始まっていました。そのことはまた来週の土曜に書きます。
user_com.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2022/01/01(Sat) 07:35 No.453
土曜に何か書く5
≪筆順の話で先週の続き──ハツガシラ筆順のアホらしさ≫
#学校で習った筆順で一番問題があるのは 「発」 とか 「登」 といった文字の部首であるハツガシラだと思います。文末の図では 「発」 の文字を例に挙げますが、実はハツガシラには3つの書き順があるのです。どれで書いても間違いではありません。

#ところが学校教育では右端の一番不便な書き順を正解としています。あとの2つは右上のチョンチョンを続けて書いているので実に合理的な筆順と言えます。ところが学校で教える文部省指定のものはチョンを書いてから右下がりの斜線を書いてからもう一つのチョンを書いております。一番書きにくい筆順をよりによって選んでいるわけです。

#実は私は学校で習ってから何十年もこの不合理な筆順でハツガシラを書いておりました。「ワシは正しい筆順を知っているんだぞ」 という小さな誇りを持って書いていたのであります。それで筆順の真実を知ってしまった今となってはこんな筆順を選んだ文部省の選定について馬鹿馬鹿しく思いますし、学校教育ではアホらしいことも教えているもんだと思うようになっております。

448

user.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2021/12/25(Sat) 06:56 No.448 [返信]
土曜に何か書く5(続)
≪中心部をはさんで左右対称的な文字のケース≫
下の四文字は例に示したものですが、色んな筆順パターンがあることが分かります。
ただし本屋などで書道の専門書を見てみても、複数ある筆順を持つ漢字についてはいちいちすべての筆順を掲載するのは大変なことは分かります、それで大抵は文部省認定のもの一つだけを示してあります。

450

user_com.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2021/12/25(Sat) 07:09 No.450
土曜に何か書く5(続)
≪書のプロかどうか判明する筆順≫
最後に 「書」 という文字の筆順について。
皆さんご存知の通り、下図右側の筆順が学校で習うものです。しかし実際は昔から例外がないと言っても良いほど左側の筆順で書かれていました。上から順に日の字まで書いてから最後に縦線を引くというものです。
現在でも書道の専門家は必ず左側の筆順で 「書」 の字を書きます。それでひょっとして右側の筆順で書いたならその人は書のプロではないと言えるそうです。

451

user_com.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2021/12/25(Sat) 07:10 No.451
土曜に何か書く4
≪漢字筆順の意外な事実を発見≫
かつて私は京都市に勤務していた当時、字を早く書けたら重宝と思って行書の書き方を勉強していました。すると学校の国語の授業で習っていた「正しい」筆順とは違った筆順を持つ漢字もあることが次第に分ってきました。

#本屋で漢字筆順の本を探すと『漢字筆順ハンドブック』という有難い本が見つかりました。この本を見れば掲載されている漢字のうち9割ほどは筆順が1種類のみですが、それ以外に筆順が2種類ないし3種類ある漢字もあることがよく分かります。

#下図は同書に掲載されていたものの引用です。右端の「成」は二つ筆順があってどちらも使って良いのです。小さな*の付いている右側の筆順が学校で教えられるもので、私はこれまでこちらのみが「正解」と思い込んでいました。要するに文字の最後に書く “点” と “左払い” の順序はどちらが先でも良いのです。同様な筆順は「城」「誠」「茂」などの漢字にも当てはまります。

#左側の三つの文字「麦」「生」「注」は三本の横線を引いてから縦線を引く漢字の例です。*の着いた筆順しか知らなかった者にとってはもう一つの筆順は何か異様な感じがしませんか。でも例えば「春」とか「寿」という文字では横に三本引いてから縦線を引いていますよね。

446

user.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2021/12/18(Sat) 07:05 No.446 [返信]
土曜に何か書く4(続)
#その本の解説を読めば分かりますが、漢字筆順というのは多くの昔の文書(多分“書の大家”とされる人たちのものでしょう)を調べた結果、過去に書かれていた筆順が正しい筆順とされるのです。筆順が二種類とか三種類あればどれも正しいと認めるしかありません。その際に楷書ではほとんど書き順は分かりませんので主に行書で書かれたものから筆順を推測して決められました。要は過去の文書に書かれていたらそれがその漢字の正しい筆順と認められるということです。

#日本では終戦後の学校教育では筆順の指導がおろそかになって、児童はデタラメな筆順で漢字を書いていました。それで昭和30年代に文部省が『筆順指導の手びき』を編集発行して教育現場でちゃんとした筆順が教えられるようになりました。そして教育現場ではこの手びきが筆順バイブルとなってしまったようです。

#問題は一つの漢字に複数の筆順がある漢字の場合はその中から一つだけ選んで教えることになっていました。それは教育上仕方ないことと思います。そのためにこの手びきに選ばれなかった筆順は誤りとされるようになり、それが入試や教員採用試験にまで及んできました。それで私も学校で習った筆順以外は間違いと思い込んでいたのでした。
user_com.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2021/12/18(Sat) 07:15 No.447
土曜に何か書く 3
≪定演パンフもネット業者の印刷に≫
定演パンフの印刷を、TVコマーシャルでお馴染みの “激安ネット印刷” のプリントパックに変えたのは2年前の2019年から。
団員数が30人台に減少し経済的に苦しいために印刷代を切り詰めるためにプリントパックにしました。
何しろこの印刷業者はネットで24時間注文受付、代金に関わらず日本全国送料無料、「弊社より安い価格があればご相談ください」とHPに書いてあります。激安と言っても完成品のパンフを見ればきれいな出来栄えです。

それまでは西湖堂印刷(株)さんに頼んでいました。定演パンフに印刷業者の名前が入ったのは2005年第48回定演からで、少なくともその年以降は西湖堂さんの印刷でした。
何というか、このような激安ネット印刷の大手企業が出てくれば、街の印刷屋さんはたまったものではありません。時代の趨勢と言えばいいのでしょうか。そういう私も印刷物ではありませんが、本やCDそれに小型家電製品などはもっぱらアマゾン利用者です。

ネット印刷でどれほど出費が抑えられたのか知りませんがこのやり方は成功だったようで、今回定演もプリントパックに頼んでおります。
そして定演パンフの最終ページには
「発行 京都府立大学合唱団」 編集責任者氏名が記され最後に「印刷 プリントパック」となっています。
これも凄い宣伝効果があるでしょう。他の合唱団の人がこれを見て「こんなに良いパンフが出来るならうちの団もプリントパックにしようかな」となるかもしれません。

ネット注文の時代は定演パンフにも訪れておるわけです。
user.png C’77卒石田(事務局長) time.png 2021/12/11(Sat) 07:53 No.445 [返信]
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -